【アートのミカタ26】モローGustave Moreau
【概要】悪女の達人
モローという画家を語るには、「サロメ」について語る必要があります。
何故ならこの神話に登場する、どちらかというと母親にそそのかされた慎ましやかな娘が、モローの手によって悪女へと堂々イメチェンを果たしたからです。
サロメとは(詳しくはリンク先をご覧ください。)
洗練者ヨハネにイビられた女性が、腹立たしさの末に「あいつの首チョンパしたいわ」と娘に告げて。その娘(サロメ)が本当に皿に男の首持ってくるというエピソードがあります。
西洋絵画は得てしてあまり喜怒哀楽を表現する作品は少ないような。
リンク先では後世のモローのイメージから「あくどい女性」を主張されていますが、だいたい皆こんな表情だったような…。
さて、「皿・美女・首」が主役となるヨハネの死を描いたシーンですが、モローが描いた作品はこちらです。
出現/1876年ころ
出現というタイトルですが、「首が出現した」という解釈よりは「それまで慎ましやかに描かれた女性の堂々とした態度が出現した=本性が出現した」との捉え方がしっくりくるかと思います。
モローはこの作品が代表するように、女性のあるべき姿を、ある意味現実離れした程に表現し尽くした画家と言えるのではないでしょうか。(ファム・ファタル)
なぜ美的センスをくのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し苦手意識を払拭するのがこのブログの目標です。その後展示等でその画家に触れる前の下準備として御活用下さい。私たちの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
【背景】激変の時代に昔ながらの題材を
モローの生きた時代は19世紀。(1826-1898)
同年代の画家といえば、「リアリスムだー!」と喚いていたクルーべや、印象派のルノワールなどが居ました。
時代的にもかなりジャンルが錯綜し、いわゆる〇〇派などと呼ばれる画家はこの辺りで続々と登場します。
1860年前後といえば、そうは言っても絵画を購入する貴族層ではまだまだ古典絵画は人気があったようです。
50代でようやく代表作がでた(しかも結構な独創性)モローですが、それでも後にアカデミー会員になったり国立美術学校の教授になったりなどしているので、割と王道の経歴だったのではないかと察します。
アンチアカデミー・アンチ国立美術学校が印象派などですから。
当時「印象派」は皮肉った言葉だったので、やはり当時の評価を伺えます。
アカデミー時代で前回にもご消化したルオーという熱心な生徒が居ましたね。後世のルオーの時代は宗教絵画は終末を迎えて居ました。
【核心】東洋?西洋?モロー的宗教イメージ
サロメの場合
私は神託を告げる巫女の外観。
神秘的な性格をもつ
宗教的呪術師の風貌を表現したかったのだ。
それで私は
聖遺物箱のような豪華な衣装を思いついた。
この残されたモローの言葉からわかる通り、幻想的な世界を作り上げようとした数多くの素描や習作。様々な国の民族衣装の研究スケッチや、ポーズを何度も検討した跡が残って居ます。
インド、中国、日本などの宗教も勉強して、西洋とも東洋とも言い難い装飾を実現して居ます。
彼の描きたかったサロメ像は、そう言う謎めいた力強さなのではないでしょうか。
まあ、本人は重度のマザコン説があったり、女性の影がほとんど見えないこともあり、なんだか常識外れのやりすぎ女性像も感じてしまいますが…。
愛情に何かしら不足を感じていたからこその、この悪女的な表現が完成されたのかもしれません。
オイディプスとスフィンクス/1864
オルフェウス/1865
ここまで読んでくださってありがとうございます。画家一人一人に焦点を当てると、環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を知ることができます。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。また次回、頑張って書くのでお楽しみに。