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琴線に触れたら好きに一途で
毎年、桜を見るたびに綺麗だなと思うし
ウィンドウショッピングをしていても物欲センサーはたくさん反応するものがいっぱい。
いろんな「好き」で日常は彩られているけれど
たまに、名前を知らなくても「うわ、超好き」って思うものたちがある。特に写真とか文章とか。
そしてそれは、何年経っても、たとえその作者名を見ていなかったとしても、くっきりと他とは違う好きという感情が毎回知らずに生まれる。本当に琴線に触れるってこういうことか、って思う。
あれ?私そんなに好きに一途だったの?って自分でもびっくりしちゃったのは最近、中学の時からやっているスマホゲームが10周年。あまりにも感慨深くなりました。(ちなみにまだ細々とやってる…笑) マイナーすぎて身近でやっている人たちもいません…でも好きなの。多分きっとこれからも。
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内容は覚えているのに読むたびに泣いてる本とか映画とかも不思議だよね。流石にこのレベルは出会えるのが難しいけれど。
案外琴線に一度触れたものはずっと大切にしているタイプなんだな、ってふと思い立ちました。
好きなものは増えても、根幹変わんないなって。
元々は「陰ながら応援しています」っていうフレーズの如くひっそりと応援していたけれど。そうするとやっぱり知らずとその世界がなくなっていることもあって。好意は口に出すくらいで丁度良い。好きなものは好きと言おう。のマインドで最近は生きています。だって思っているのだから!
だからといって、お世辞で言い過ぎるとかはちょっと言葉が薄れちゃうので、無理しなくていいかなって思ってるし、割とそこは正直に生きているけれど。へへへ。
「推しは推せるうちに推せ」
ってフレーズも上記に近いなぁと思っていて、やっぱり作り続ける側の人のエネルギーも大事だけど、受け取る側からのエネルギーもすごく重要だなって。大体終わってから、亡くなってから気づく物事が凄く多かったので今活動中のものは応援は見える形で少しやっていきたいな、って思うのでした。やっぱり好きと言ってもらえるのは幸せ貯金が貯まっていくしね!
昔「褒めは褒められている方も、褒めている人にも双方に好影響があるんだよ」ってテーマで研究している人がいて、これはなんて平和な研究なんだろうと思ったことがあります。優しい世界。ちなみにめっちゃ良い人だった(そらそうか)。
優しい言葉ときつい言葉のりんごとかお花の実験もあるよね。ネガティブをポジティブに変換するのが得意なのは、やっぱり少しでも相手にとっても自分にとっても居心地の良い空間を作りたいからかなって思いました。ずっとプラスではいられないのでたまには愚痴らせてもらうし、聞いてもらっちゃうけど。
そんなしみじみ感とは正反対のお気に入りソング
King Gnuの「一途」聴いて帰ってくれよな!
ではまた!