木の花ホームほか1社事件・宇都宮地判令2.2.19~月130時間超相当分の固定残業代は公序良俗違反で無効?

弁護士の荒川正嗣です。
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1 はじめに

 本記事では、固定残業代の有効性が争われた木の花ホームほか1社事件・宇都宮地判令2.2.19を取り上げます。
 固定残業代の適法性ないし有効性(厳密には固定残業代の支払によって労基法上の割増賃金を弁済したといえるか)については周知のとおり、ここ最近の最高裁が基本的考え方を示しているのですが、固定残業代は何時間分までが許容されるかについては最高裁で判断はされていません。
 本事件は固定残業代である職務手当が時間外労働約131時間分であったものを「常軌を逸した長時間労働が恒常的に行われ得る等」を理由に公序良俗に反し無効(民法90条)としたのですが、この判断の当否や、公序良俗違反とされないための実務対応について、若干考えてみたいと思います。

2 定額残業代に関する定めと争点

【給与に関する定め】
 被告Y社は、原告Xに対し、就労開始日に「給与に関する通知書」を交付しましたが、それには以下のとおりに記載されていました。

<給与に関する通知書>
●給与月額:58万3333円
●上記内訳:基本給(能力給)30万円、職務手当28万3333円
●時間外労働に対する労働時間数:131時間14分
●留意事項:職務手当・・・は「時間外労働に対する割増賃金の定額払い」です。その内訳は、時間外労働133時間14分に相当するものです。実際の時間外労働が上記の131時間14分に満たなくとも、その分の返還を要求することはありません。

 またY社の賃金規程には、職務手当について次のとおりに定められていました。

<賃金規程17条>
 職務手当は、時間外労働に対する割増賃金として、各人の職種・職責等に応じて金額を算出し、支払うものとする。

【争点】
 原告Xが後に、Y社に対し、割増賃金請求をしたことから、①固定残業代の定めの有無(職務手当が固定残業代として定められていたか)、及び②固定残業代の定めが有るとしてその有効性が争点となりました。
 なお、本件ではほかにも賃金減額の有効性等も争点となりましたが、本記事では割愛します。

3 争点に対する裁判所の判断要旨

(1) ①固定残業代の定めの有無(職務手当が固定残業代として定められていたか)について

<判断枠組み>
 Ⅹに支払われた職務手当は、本件各雇用契約において時間外労働等に対する対価として支払われるものと定められていたか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断するのが相当である(日本ケミカル事件・最判平30.7.19)。

<本件への当てはめ>
【結論】
 職務手当は、本件雇用契約において時間外労働に対する対価として支払われるものとされていたこと(本件固定残業代の定め)が認められる。

【理由】
✓賃金規程17条に職務手当の性質につき、「時間外労働に対する割増賃金として」支払われるものであることを明記している。
✓雇用契約の締結に当たって、給与に関する通知書を交付し、職務手当の金額及びこれが「時間外労働に対する割増賃金の定額払い」であって時間外労働131時間14分に相当するものであることを明示している。

✓約131時間分は、原告の実際の時間外労働等の状況との間に一定のかい離が認められるものの、上記固定残業代としての性質を否定するほど大きくかい離するものではない。

(2) ②固定残業代の定めの有効性について

【結論】
 本件固定残業代の定めは公序良俗に反し無効である。

【理由】
✓本件固定残業代の定めとXの実際の時間外労働時間数は平均すると約50時間のかい離が生じている。その結果、Xは、1か月当たり平均80時間を超える時間外労働等を行ったとしても、清算なしに約131時間分の割増賃金を取得することが可能となるため、常軌を逸した長時間労働が恒常的に行われるおそれがある。

✓実際、Xの時間外労働時間数は1か月平均80時間を優に超えるだけでなく、全26か月中、時間外労働等が1か月100時間を超えている月は6か月、90時間を超えている月は17か月にも上っている。

✓上記に照らすと、本件固定残業代の定めの運用次第では、脳血管疾患及び虚血性心疾患等の疾病を労働者に発症させる危険性の高い1か月当たり80時間程度(平成22年5月7日付基発0507号第3号による改正後の厚労省平成13年12月12日付基発第1063号参照)を大幅に超過する長時間労働の温床ともなり得る危険性を有しているものというべきである。

<判断枠組> そうであるから、「実際には、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定していたわけでないことを示す特段の事情」が認められない限り、本件固定残業代の定めは、公序良俗に違反するものとして無効と解するのが相当である。

<本件への当てはめ> 特段の事情を基礎付けるに足りる事実は認められない。むしろ、Ⅹの実際の時間外労働時間が優に1か月80時間を超え、減少する兆しなど全く認められない期間が長期に渡って続いていたことや、Ⅹが本件雇用契約の締結後まもなく(H25.5.31)虚血性心疾患を発症し、手術を受けたことがあるにもかかわらず、Y社はXから誓約書(※)を取り付けただけで、その健康維持と心疾患の再発防止に向けた具体的な措置を講じようとした形跡が認められないことなどからみて、上記特段の事情は存在しないことがうかがわれる。

(※)当該誓約書には、Ⅹが今後もY社で勤務するに当たり、業務中の不慮の疾患や生命に関する重大な事故等は一切自身の責任とし、Y社に迷惑をかけない旨や、安全と健康に十分に注意をはらい、定期的に意思の診療を受けるなど万全を期す旨等が記載されていた(Y社がXに主治医の診断書の提出を求めていたがXが応じなかったので、この誓約書の提出を求めていた)。

3 検討

(1) 固定残業代の合意自体を認定したことは妥当

 本判決は、公序良俗違反か否かの検討の前に、雇用契約上、職務手当がそもそも固定残業代として支払われるものとされていたかどうかを、日本ケミカル事件・最判平30.7.19の判断枠組みを用いて検討しています。
 前提として、労基法37条等(同条並び同法規則等)は、その所定の方法で算定された額を下回らない額の割増賃金を支払うことを使用者に義務付けるに留まり、使用者は雇用契約に基づき、時間外労働等に対する対価として定額の手当を支払うことにより、同条の割増賃金の全部又は一部を支払うことができます(医療法人社団康心会事件・最判平29.7.7)。
 このことを前提に、日本ケミカル事件最判は、「雇用契約においてある手当が時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否かは、雇用契約に係る契約書等の記載内容のほか、具体的事案に応じ、使用者の労働者に対する当該手当や割増賃金に関する説明の内容、労働者の実際の労働時間等の勤務状況などの事情を考慮して判断すべきである。」としています。
 この日本ケミカル事件最判の判示部分は、「対価性」、すなわち、定額の手当等を、労基法37条の割増賃金として(時間外労働等の対価として)支払うことが、雇用契約の内容になっていることを求めるものだと解されます。
 つまり、「対価性」の有無とは、契約内容の認定ないし解釈の問題ということであり(そうであるから、「時間外労働等に対する対価として支払われるものとされているか否か」が問題とされています)、契約書の記載内容や、説明の内容、実際の勤務状況等は、その認定ないし解釈をする上での考慮要素の一例だと解されます(池原桃子「最高裁 時の判例」ジュリスト1532.76参照)。
 本判決が日本ケミカル事件最判の判断枠組みを踏襲して、本件職務手当が固定残業代として(時間外労働等の対価として)合意されていたかを判断したことや、結論としてこれを肯定したことは妥当です。
 なお、本件職務手当は約131時間相当分でしたが、本判決は、Ⅹの実際の時間外労働時間数との間に一定のかい離(実際の時間数が30時間~50時間程度少ない)があることを指摘しつつも、固定残業代の性質を否定するほど大きくかい離するものでないとしています。固定残業代が時間外労働等の何時間相当なのかと、実際の時間外労働等の時間数にかい離の有無、程度は、日本ケミカル事件最判でも言及されていたところですが、このかい離は、「対価性」が認められるかどうかという雇用契約の内容の総合的に判断する上での一事情であり、独立した要件とは解されません。かい離があるというだけで直ちに対価性が否定されるものではないし、またかい離があっても、契約書の定めや使用者からの説明内容から対価性が十分認定できる場合もあるでしょう(この点について前掲池原論文参照)。本判決もかい離の有無、程度があくまで「対価性」を判断する一事情と位置付けているといえ、この点でも妥当な判断といえます。

(2) 本件固定残業代の定めは公序良俗違反(反社会的)なのか?

 本判決は固定残業代の定めの下では、常軌を逸した時間外労働がされるおそれがあるとか、脳・心臓疾患の労災認定基準である1か月あたり80時間を超える時間外労働の温床になり得るおそれがあるとし、「実際には、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定していたわけでないことを示す特段の事情」が認められない限り、当該の定めは、公序良俗に違反するものとして無効と解するのが相当だとしています。
 本判決のように、定額残業代が相当する時間外労働等の時間数が長いことから、公序良俗違反で無効とした裁判例は、ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件・札幌高判平24.10.19(月95時間相当。ただし45時間の限度で有効とした)、穂波事件・岐阜地判平27.10.22(月83時間相当)、イクヌーザ事件・東京高判平30.10.4(月80時間相当)などがあります。
 本判決も含め、いずれの裁判例も長時間分の固定残業代の定めがあると、その分の時間外労働が予定されているとか、義務付けられている、またはその温床になるとの発想が根底にあることが見受けられます。
 しかしながら、固定残業代の定め自体は、あくまで時間外労働等への対価への支払方法の定めでしかありません。
 固定残業代が設定されているということは、業務上、ある程度の時間外労働等の予定があることが前提になってはいるでしょうが、実際にどれだけの時間外労働等をするかは別問題ですし、定額残業代によってその分の時間外労働が義務付けられるとは解されません(この義務付けと解されない旨は、結婚式場運営会社A事件・東京高判平31.2.28も述べているところです)。
 また、本件判決のほか、労災認定基準との関係で月80時間超相当分の固定残業代については健康被害をもたらす長時間労働を招く、継続させるという評価をする裁判例もありますが、この点も同様に固定残業代として何時間分を設定するか自体とは直接の関係はありません。使用者には、労働者が長時間労働等によって、疲労が過度に蓄積し、健康被害が生じることがないよう配慮する安全配慮義務があり、固定残業代を何時間分と定めたかとは無関係に、労働事態を踏まえた然るべき措置をとる必要がありますから、長時間労働による労災リスクの問題はそちらの範疇で考えるべきことであって、労災認定基準があるからといって、それで固定残業代を時間外労働何時間分とするかを制約する理由になるとは解されません。
 もとより、公序良俗違反に該当するのは、一般的に①家族道徳に反する行為、②人格の尊厳・自由を制限するもの、③正義観念、社会的倫理に反する行為、④射幸的行為、⑤暴利行為などですが、固定残業代を、時間外労働80時間や100時間超としたとしても、これらに並ぶような反社会性があるとは到底解されません。また、脳・心臓疾患の労災認定基準である時間外労働80時間や100時間という時間数を「過労死ライン」などと呼ぶ向きもありますが、それら時間数を超えると過労死に直結するということでは決してなく、それらは休息が取れているかを見るための代理指標です(長時間の時間外労働がなされるとその分休息時間が減るという考え)。労災認定は時間外労働の時間数だけでなく、総合的な観点から業務に内在する危険性が現実化したかを判断して行われるものですし、上記代理指標は、継続的な80時間超や単月100時間超の時間外労働自体を反社会的なものとする意味合いのものではありません。
 このため、常軌を逸した長時間労働や労災認定基準を超える時間外労働を生じさせるおそれがあるからなどとの抽象的危惧は、公序良俗違反だという判断の根拠になるとは解されません。
 なお、本件判決は、本件の固定残業代が月131時間相当分であるということから直ちに公序良俗違反とはせずに、「実際には、長時間の時間外労働を恒常的に行わせることを予定していたわけでないことを示す特段の事情」がない限り、公序良俗違反だとしてます。
 つまり、当該特段の事情があれば、例外的に公序良俗違反でないという余地があるということですが、原則公序良俗違反だが、例外的に違反でないという枠組みが理屈の上で取り得るのか疑問です(公序良俗違反該当性に原則、例外があるのか?)。また、固定残業代の月131時間相当分であるのに対し、Ⅹの実際の時間外労働時間数は30時間~50時間程下回っていることもあったと認定する一方で、実際の時間外労働時間数が80時間超であること等を理由に特段の事情なしとしており、結局のところ労災認定基準の月80時間を基準に公序良俗違反か否かを判断しているようですが、これに根拠がないと解されるのは既述のとおりです。

(3) 実務対応

上記のとおり、理屈の上では、公序良俗違反を理由に、固定残業代が時間外労働何時間分かを制限することはおかしいといえるのですが、他の項目でも見られるように、裁判所(裁判官)なりの価値観、結論の妥当性なるものを据えて、理屈の面はあやしいけれども、労働者側に有利な判断をするということはまま見られることではあります。
 また、現在は、時間外労働に労基法上、上限規制がありますが(労基法36条4項~6項)、公序良俗違反とはせずとも、この上限規制に絡めて、月80時間超の時間外労働相当分の固定残業代は無効とする判断が今後される可能性も否定できません。現に、上限規制導入前でも、行政通達であり法規範ではない限度基準告示(平成10年労働省告示第154号。現在は廃止されている)の内容を考慮して、80時間超等の固定残業代の定めを公序良俗違反とした例もありましたが(前掲・ザ・ウィンザー・ホテルズインターナショナル事件、穂波事件)、上限規制は法律上の規制で強行法規なので、裁判所も固定残業代の定めを無効とする根拠としやすいようにも思われます。
 このため、雇用契約書等で明確に固定残業代として定め、労働者にもその旨を説明し、労使双方が納得していたはずなのに、後に裁判で無効とされ、したがって固定残業代をも算定基礎にした割増賃金請求が認容されるというリスクを避ける上では、固定残業代の時間数も一定の範囲内に収めておいた方が無難だといえます。具体的には、時間外労働の上限規制が原則として月45時間までとなっていることから、この範囲内で設定しておけば、公序良俗違反なり、上限規制違反で無効ではないかとの余計な主張、判断を招かずに済むと考えます。
 なお、固定残業代を支給していても、実労働時間に応じて、労基法37条等所定の方法で算定した割増賃金が超過すれば、超過分を支給しなければならないのは当然ですし、そのためには使用者は時間管理をする必要があります。使用者が安全配慮義務を尽くす観点からも労働実態はしっかり把握しなければなりません。固定残業代は長時間分を設定しておけば時間管理の手間を避けられるという制度でないことには留意が必要です。


 
 

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