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ロビイストの星

 インターネットでロビイストとして検索すると、真っ先に挙げられる例が労働組合です。街宣や集会より交渉しに行く、応援している政党が敗北してもロビイストとして一つや二つ取って帰ってくるのも私達労働組合の役割ですが、近頃日本だけじゃなく世界でもそのロビイ活動がかつてに比べて変わってきています。昭和の時代は日本社会党や民社党に組織内を送り込んで国会で交渉したり、内閣の諮問団体の1人になったりして、様々なパイプを有していました。日本社会党も民社党も今では考えられないくらい労組依存体質で労組から中執を選ばないと回らないぐらいでしたが、このような現象は珍しいことではなくイギリス労働党などはトニー・ブレア以前は労働組合の委員長が全ての組合票をまとめる立場でたとえ組織内で意見が多様にあっても、トップに一任されました。これはどういうことかと言えば100人の組合があったとしてたとえ意見が割れていたとしても、委員長などトップがAに投票するなら、Aに100票が投じられるということです。
 日本社会党にしても欧米の社会主義政党にしても左右対立が激しく、労働組合の影響力を無視できず、だからこそ民主集中制を採用していました。ただ私も社会党を本当に少しだけ引き継いだ旧民主党の超消極的支持者というより支援者ぐらいですが、労働組合というものは江田三郎が言うように思想信条や政党支持のいかんをこえた、経済的利益の実現と権利の擁護拡張のための結合体であるはずです。労働組合の一党支持は難しい。その持論の後、江田は日本共産党はそもそも労働組合も市民団体も党の系列に見ているので、現状を見て一党支持反対を唱えているだけ。共産党を支持する労働組合が出てくると、そんなこと言わなくなると答え、後に統一労組懇がそうだったので、彼の未来を見通す立場は確かでありました。そう考えると江田五月は全く嫌いな人ではないですが菅直人の厚かましさに比べると力不足でした。父も根回し不足で、協会派の反撃で党から追放されましたが。
 フランスの場合はフランス社会党と労働組合は最初期は支持政党とかそう言う関係ではなくどちらが労働者を組織化できるか競争関係でした。イギリスは労働組合からイギリス労働党が生まれ、前述したようにむしろ労働組合がオーナーでした。ドイツの場合はドイツ社会民主党が戦術として組合活動を指導して、労働組合と社民党の関係を深めていきました。この点は戦前無産政党と労働争議の関係性に似ていると思います。北欧では政党、労働組合、協同組合は3者連合。イギリスより密接ではなく、ドイツよりは適度な距離感を持った関係です。ただこうした労働運動勃興期と現在では、労働組合も労働者政党も極右や左翼を擬態した民族主義に党内を侵食されないように構造改革は必要です。

世界初「リベラル」政権

 オーストラリア労働党は世界初の社会民主主義政権を樹立した政党と言われます。その初代政権は短命でしたが、保護貿易支持か自由貿易支持か保守政党、しかも都市部エリートか地方の名望家が人材供給源で労働者の政党が一才なかったオーストラリアでイギリスより早い労働党政権の誕生は世界史に大きな影響を与えました。オーストラリア労働党の場合もイギリスと同様労働運動から生まれた政党で人材供給源も幹部も労働組合関係者が非常に多く、1904年の初政権獲得後も度々政権交代を起こし、政権政党に脱皮した成功例でしたが1983年オーストラリア労働党、もしかすると世界の社会主義政党に大きな影響を与える労働党政権が誕生します。
 オーストラリア労働組合評議会のリーダーで国民的な人気もあった労働運動家ボブ・ホークとその後継であるこれもまた労組出身者のポール・キーティングは先住民との和解など左派でしかできなかった国内問題の解決を成立させていますが、経済面では社会主義、社会民主主義から転換、ネオリベラル政策を導入し労働組合の影響力を党内から制限する改革を行います。ホーク、キーティング政権を見ているとお分かりだと思いますが、労働組合出身だから労働組合寄りの政権なわけではない、いい意味でも悪い意味でも政治家と活動家は別です。労働党のアキレス腱でもあった労働組合に抑制がかかるようになり、キーティング政権が倒れた後ハワード保守政権下においてオーストラリア労働組合評議会は大打撃を受けます。野党暮らしが長引いた労働党は政策立案代表を60%が労働組合の人間を指名しないといけないこと、さらに労働党の推薦候補者は労働組合員ではないといけないことなど労組有利の党組織において改革意識が高まったのが2002年ごろです。
 現在トニー・ブレアよりも労働者政党の党内改革、そして「第三の道」の先駆者だったのはホークとキーティングの政権で、これもまた世界初のものでした。ホーク・キーティング政権が誕生していた時、日本社会党では左右の対立が最激化し社会主義協会の猛反撃の頃で、労働党の構造改革が叫ばれた頃、日本の民主党は社会民主党の票田を根こそぎ奪うことに成功していました。シンクロしているような、全く別の動きをしているような。左派はそもそも変革の勢力。変わることを恐れてはいけませんが、その変わり方がどうなるのかは後世が判断するでしょう。そしてその判断も時代ごとに違うと思います。

民主党保守系との対立

 民主党は労組主導だった日本社会党勢力と新党さきがけの合流で生まれた政党で後に新進党が解党すると小沢自由党や公明党に行かなかった人たちが大挙入党しました。旧民社党は最初自由党内で活動する案もあったそうですが、連合が民社系で独立するようにとキツいお達しがあってから労組出身の伊藤英成が中心に「新党友愛」を結党し民主党に合流しています。その頃の民社党はそれこそ社会主義を捨てつつある「第三の道」路線の派閥でしたが。民主党結党時は愛知では社会党勢力の県連と民社党勢力の県連が併存し、それはまた融合に時間がかかったそうですが、他の地域では割と連合主導で組織合一を果たしていきました。ですが保守王国と呼ばれた地域は非凡なものがあっても、自民党では公認されず民主党に合流する人も多かったです。愛知ではそうした人は基本的にさきがけ系列が多かったです。もちろん小沢自由党も愛知県内にあったので民由合併の頃は一悶着はあったらしいですが、時限政党だった新生党や日本新党と違い新党さきがけは農村型政党で案外その名声から集まる人材も多く、その思想の幅が大きいのも特徴であり、労組系が主に対立した保守系は=さきがけと言っても過言ではないです。別にさきがけを腐しているわけではなく、私達ととことん争ったのはさきがけ系列が多かっただけです。
 群馬県連がもっとも著名な例でしょう。非労組ですが、民主新党結党の急先鋒で参院民主党内で一定の発言権があった角田義一率いる労組系とあの石田労政や江田ヴィジョンの対抗として保守政治のヴィジョンを示した石田博英の元政策秘書の中島政希。元々競い合っていた人達が同じ政党にいるんですから、それは融合に時間がかかります。元々群馬県連内に不正経理があり、この事について保守系は内部告発。当時県連を仕切っていた労組系を攻撃します。不正経理については擁護しようもありません。実際当時社会党系は55年体制を未だ引きずった人も多く、労組も金銭スキャンダルが多かったです。愛知でも佐藤観樹という社会党出身の大幹部がいましたが、彼も金銭問題で政界から消えてしまいました。ただ保守系も労組に頼る必要はない!と言い切り、ある事はまだしもない事まで言われた労組も引くわけにはいかなくなります。こうした労組とその労組の支持政党の対立は世界中でも2000年代は最高潮でした。アル・ゴアを落選させたアメリカ民主党とAFLーCIOとの関係は最高潮でしたし、イギリスではブレア政権で更なる組合員流出を招いた労組は票の一部が2大政党から第三極に流れました。

蜜月と対立の時代を経て

 労働運動が起こった時、社会主義という思想が広まりその後よくも悪くもマルクスという個性的な理論者は社会主義者が政権与党になれるヒントを与えてくれました。マルクス自身は暴力革命によるプロレタリア独裁を主張しましたが、合法的な議会活動でプロレタリアの政権は獲得できるという修正ができました。ナショナル・ミニマムを用いた福祉国家論は多くの国で議会制による社会主義政権を誕生し、保守政権ですら社会保障に対して廃止する事はなかったです。しかしサッチャー、レーガンが持て囃されるようになり、強い指導者というスターリニズムに近い体制が西側諸国でも発生しました。マスコミの報道は萎縮し、また萎縮を擁護するような言説も生まれました。その中で社会主義政党も従来の福祉国家論には懐疑的となり、「第三の道」という旧来の社会主義右派とは違ったイデオロギーが誕生します。これはもっと言えば福祉国家論者というそもそも右派や中間派だった勢力が左派や急進左派と言われ、その当時の左派はすでに別の政党で活動しています。海外の労働組合票はかなりの部分が緑の党や左翼党といった反保守でありながら、旧来の社会主義政党を見放しつつあります。
 あくまで日本の労働組合の話ですが、もう30年近く議論が行われている企業別労働組合主導の運営は辞めましょう。あくまで拠点の一つとして企業別があるべきで、その交渉権は連合に返す大政奉還が必要です。連合も総力上げてオルグを育て、地域協議会の役割をもっと強化しましょう。労働組合に相談する事すら知らない労働者が存在するのは、地域協議会の発信が少なすぎ、企業城下町ならまだしも地方の地協は非常勤が多すぎて開いているのか分からないです。そして労働組合は職場を戦力外されたような人が新たに輝ける場所になるかもしれませんが、ただ単純に誰かを出さないといけない、かといって会社から支援されて役員を揃えるわけには行かない。だからそうした戦力外の行き着く先という労組は改めましょう。職場で戦力外されても、労働運動のイロハを学べば情熱的な労働運動家が誕生するかもしれません。何もしなければただ単純に戦力外のサボり場になります。熱心な運動家とそうではない人の差があまりに大きすぎる。連合に出向するならともかく連合の役員になるのなら、もう企業籍は外れましょう。労働運動は産業の代弁者ではなく産業労働者の代弁者であり、会社の擁護ではなくその会社で働く労働者の代弁者であってほしいです。産業政策は経営団体のもので、労働組合までそれに熱心なら誰が労働者の代弁をするのか?
 「リベラル」に転向した労働者政党。立憲民主党、国民民主党、社会民主党に労働組合員からの反論です。多様化した社会において保守政党では救いきれない少数派の存在は多いです。かつて労働者政党は少数民族の立場向上にも熱心でした。部落解放同盟との連携がその典型例でしょう。アイヌ民族出身の故萱野茂参院議員の擁立もありました。現在はLGBTなどこうしたマイノリティの政党であってほしいものです。元々労働者自体がマイノリティで、その権利向上は労働運動だけではなく政治運動の総決算でもあった労働者政党の躍進が必要不可欠でした。だからそうした活動はむしろ積極的にすべきです。ですが、労働運動の解像度が低すぎる人まで支持者ならまだしも要職につけるのはどうか。自動車製造のライン工や新幹線の運転士などは労働者の中では高級取りかもしれませんが、その人達だって怪我や病気でいつ貧困になるのか分からない、よしんば運がよく定年まで過ごしたとしても体はボロボロで、年金支給の年齢の上限が上がれば上がるほど年老いた体に鞭を打ってラインに戻らないといけないのです。労働者の生活に関わることは、もっと抵抗してほしいし、社会システムを維持発展するためには消費税、法人税、一番言いたいグローバル企業の適正な課税についてもっと国際的に話し合ってほしい。海外の友党がない日本の政党は国際連帯税創設にあたってイニシアティブが発揮できるのか分かりません。結局顔の政党であり、人気者がトップに立たないと選挙ができない組織づくりが下手な政党が果たして二大政党どころか今後も党は解党し、また希望の党が起こらないのか?彼らに一番足りないのは信頼性です。
 あくまで1ロビイストの発言です。ただ1ロビイストだからと浮かれた選挙ばかり繰り返せば、日本という国は政治分野においては何や切磋琢磨できない自民党という保守でもないが多大な利権を持っている政党の独壇場で衰退したと言われます。その時まで抵抗しているのは労働組合でしょうか?元社会主義の「リベラル」政党でしょうか?

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