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2011.3.11 東日本大震災

こんにちは。労務ママです。

東日本大震災から昨日で10年が経ちました。

10年前のあの日、皆さんは何をされていましたか?

私は妊娠8ヶ月の妊婦で、近所のドラッグストアで買い物をしていました。

その当時は販売員をやっておりまして、土日出勤、平日お休みで。震災に遭った日は所定休日でした。家の近所で震災に遭ったのは本当にラッキーだったと思います。

その直後から電車が動かなくなってしまったので、もし出勤だったら、大きなお腹を抱えて何時間歩かなければならなかったのか……考えるだけでも恐ろしい……(@_@;)

その当時はマンションに住んでいたのですが。当然のことながらエレベーターが止まってしまい、大きなお腹で11階まで登らなければならないのは大変でした(^_^;)

私の住んでいる市は震度4でしたが、家に帰ると食器棚のガラス戸が開いていたり、引き出しが出ていたり、本棚が倒れて本が雪崩を起こしていたり。地震の影響で壊れた物は特にありませんでしたが、部屋の中の様相はまるで泥棒が入ったかのように荒れていて、地震の大きさを物語っていました。

その後の余震で船酔いのような状態になり、その日はひたすら横たわってました。当然、仕事に出ていた主人は帰って来れず、ひとりで不安な夜を過ごしたことは今でも覚えています。

避難しなければならないほどの被害は受けませんでしたが、その後の計画停電などで、地震の規模の大きさを実感したのは言うまでもありません。

翌日は電車が動かず、お休みをし、出勤したのは二日後だったと思います。

私が住んでいる街の最寄り駅は3路線乗り入れてまして。行きは2時間遅れ、帰りは最寄り駅の一駅手前で止まってしまい、寒い中、30分かけて歩いたことも覚えてます。

地震から数日後だったと思います。スーパーで買い占めが始まって、スーパーに入店するのに1時間、外で待たされる、やっとスーパーに入っても水、パン、バナナ、カップ麺などの棚が空っぽで商品が何もなく、異様な光景だったのを覚えています。計画停電で電気が使えなくなるからと、すぐに食べられるパンやバナナが買い占められてましたね。

震源地から離れたところでしたが、こんな生活を送っていました。震源地近くの皆さんはもっと大変だったんだろうなと思うと……何と言葉にしてよいのやら……心が痛みます。

この時、一つ思ったことがありまして。

生まれてくる子供の為に職場を近くに変えよう、そう思いました。

子供が保育園にいる間、地震が起きても、迎えに行ける通勤場所にしよう、と。

結局、その後、二回ほど転職しまして。一つ目の会社は一駅先の不動産会社で、歩いても1時間で帰れる場所でした。

今、勤務している二つ目の会社は、販売をしていた頃より遠くなりましたが、残業で帰りが遅くなった時に子供達のお迎えをお願いしているファミリーサポートさんを『緊急連絡先』として登録させていただくお願いをました。

小学校は震度5以上の地震があった場合、保護者がお迎えにいかなければならないのですが、電車が止まった場合、今の職場から歩いて帰るにはかなりの時間がかかると思われ、引き取りが出来ない可能性があるからです。

大人だけで生活していた頃は防災用品も特に用意していませんでしたが、子供がいるとなると年齢に応じて準備しておかなければならないものも変わってくる為、年に一回は見直すようになりました。

東北大震災では被災しませんでしたが、それはたまたま、今まで運が良かっただけ。いつ、大きな地震が起きてもおかしくないんだ、と改めて意識を変える出来事でした。

昨日のニュースで10年経った今尚、復興されていない地域があることも知りました。

亡くなられた皆さんのご冥福をお祈りするとともに、被災地域の皆さんが少しでも元の生活に戻れるよう、私に何か出来ることはあるか、考えてみたいと思います。

#それぞれの10年

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