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note.3  貧困の連鎖するの理由

家庭の問題や課題は子どもの人生にも影響することがあります。
今日は、「貧困の連鎖」について考え手みたいと思います。
私は子ども期の家庭は貧困家庭でした。

*貧困家庭に生まれ育つ*
両親は再婚同士の夫婦で、母には連れ子(異父姉)がおり、父母と私と異父姉と4人で暮らしていました。(異父であること、再婚同士の夫婦であることは小学5年生までは知りませんでした)

貧困の理由は色々な問題が絡んでいましたようですが、私が生まれる前には貧困状態だったようです。父母はすでに他界したいるので、詳細は不明ですが、私が知る情報を集めて繋げてみると以下の要因が考えられます。

⑴父母の成育と貧困の兆候
母親→父母(祖父母)からの愛情は薄く冷遇。高校中退後に家出。水商売をして生計を立てる。前夫と出会い異父姉が生まれる。前夫と離婚後、ひとりで姉を育て再び水商売。そこで父と出会い再婚。
父親→比較的裕福な家庭だったが母(祖母)は父がうまれてすぐに他界(愛着に課題があった可能性大)父(祖父)は勤務先の家政婦と再婚。大学卒業後に大手証券会社に就職するも退職、その後職を転々とする。
前妻と結婚し兄(異母兄)が生まれる。(この兄とは会ったことがない)父母ともに課題や問題があり低調な人生を送る。
⑵父の飲酒と大病
私が3歳頃に父が大病を患い生死をさまよう。収入が途絶え、生活困窮となり、生活保護受給。大病は大量飲酒と仕事がうまくいかないストレスが原因

自営業(建築業)をしていた母方祖父母に助けを求め一時を凌ぐが、冷遇され、祖父母が長期遠方に仕事で出ている間に夜逃げ同然で転居。
父は運送業に就くが社員ではなく個人事業主として仕事をするが、経費がかかる上に売り上げは上がらず、給料を持ってこないこと多々。夫婦喧嘩が絶えない毎日を過ごす。

このような状況下で子ども期を過ごす。社会は高度経済成長期、バブル経済と景気が良かったが、私の家庭は例外で恩恵に預かったことはない。

機会の不平等が直撃
私の友だちは塾やピアノ、スイミングスクールなど挑戦できる機会を与えてもらっている。大半は塾に通い学校の勉強は復習。先生もそれに合わせて授業が進み付いていけない。成績は相対評価で上位はすべてその子どもたちで占めるので、勝ち目はない。
高校進学
私立高校の学費は出せないと言われ公立のみ。絶対合格できる高校を受験し進学(自分の学力はあまり関係がない)
大学進学
大学進学の意向を伝えると「うちは高校まで」とバッサリ…
行くなら自分で奨学金を借りていくようにと…自分で賄える大学はほぼなく全国で探して夜間の大学へ。偏差値、学力など全く関係なくそこ一択。

一般的には「夢は叶えるもの」→私は「夢はあきらめるもの」であった。
あきらめ切れない思いを持って人生を歩むことを決意。

貧困からの脱却への道
大学卒業後は「奨学金」が「借金」と名を変えて助けてもらった学生生活から苦しめられる社会人生活へと…
児童養護施設で働きながら何とか奨学金は完済。大学院へ進学したい思いもあり、働きながら大学院へ。しかし預貯金はなく、再度、奨学金を借りる。修士課程修了した数年後に大学教員へ転職。
児童養護施設の退職した際の退職金で大学院の奨学金を完済し貧困問題が市終了42歳のとき

子ども期の貧困を42歳で終了するまで何度人生を投げてやろうかと思ったか
暗闇をまだ未熟な若者が進むことは本当に難しい。何とか抜けられたから言えるが、今、貧困状態の最中にいる人は本当に苦しいと思う。抜けられるという保障なんてない。抜けられたのは結果論でしかないということ。

生活困窮者の支援と簡単に言うけれど、そんな簡単ではない。というのが実感。



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