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Hvalaセルビア‐39:ある意味、陰謀
交差点と崩壊したビルの片壁には軍隊への勧誘広告と思われる看板がぶら下がっていた。「自国を守ろう」「この悲劇を忘れてはならない」富国強兵を叫ぶスローガンだろうと感じられるセルビア文字群。
空爆ビルを少し下ると、何十メートルもあるバナーが掲げられている。
こちらには英語表記がある。
「1998年から2004年の間にコソボ解放軍は多くのセルビア市民を殺した。そんな彼らは今、インターポールに加盟しようとしている」
その数百メートル先には未だ行方知れずの人や紛争に巻き込まれて命を落とした市民の写真がのぼり旗のうえで揺れている。形を変えて紛争は続いていると感じる。一方で、このバナーの声がどれほど世界に届くのだろうと虚しくもなる。
人は攻撃を受ければ防御を意識するのは当然である。この当然の心理が強烈な体験を通して生まれたものならば、過剰な防御意識が生まれる事もあるかもしれない。
「やられる前にやったろか?!」と。
近年、想像上の恐れに煽られた争いが増えているような気がする。
身も凍る殺戮を体験した人々を癒せる言葉は無い。頭も心のブレーキもブッ飛んでしまうのだろうと想像する。
けれども、これまでの歴史を顧みて言うならば、どうか、悲しみに暮れる人々の心を扇動する政治の犠牲になって命を落とさないで欲しいと思う。
※To Be Continued「Hvalaセルビア‐40」へ続く。