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昔から、音なき音が聞こえている。話。

人は、3つの背骨の音を持って生まれてくるそうだ。
わたしが持っている背骨の音のうち2つは、五感に関するものである。


1つは、音なき音が聞こえる能力。
これは小さい時からそう。
目を見たり、人が動くことによる空気の動きの質感で、その人の本音やら感情が自分の中に入ってくる感覚を持っている。

幼少期はこの感覚のせいで、色々なことを感じすぎて、
ただ、生きている。ということが辛かった。
人の感じていることの質感がそのまま自分の中に入ってきて、
あぁ、悲しいとか、腹が立つとか、本当のことは言えない。とか、あらゆる感情がわたしの細胞を揺らし、その感情をありありと感じさせた。


生きていると知恵がつくもので、幼少期のわたしは、その感覚を遮断することにした。
感じないようにするを徹底して、それを解除するまでの20年ほど、わたしは暗黒期を過ごした。


今、わたしはその感覚を良い面をごく自然に使いこなし、活用し、今の仕事でこれらの力が授けてくれるものを皆さんに還元できればと、やっていられるのは、紛れもなく、あの時の自分が、封印と解禁を行ったからだ。


今は、その聞こえる能力は完全に、オンオフの切り替えをしているので、仕事以外で、許可なく誰かの感情を聞くようなことはしない。相手のためというより、自分が楽に生きるために、ほとんの時間はスイッチを切っておいた方が都合が良いからだ。必要な時には、2割開けるとか、全開するとかすればいいのだから。


日常でも誰かの感情の動きを感じることはあるけど、それは誰でも同じでしょう。
普通程度に心動かしながら、ってのが、わたしの場合は、生きやすい。
本音が聞こえたところで、そうでしょうね。としか思わない。


時々、この話をすると、「見破られるよう気がする」とおっしゃる方がいるのだけど、どんだけ、自分に誠実でないのだろうか。


本音を知られることが怖い?どうして?
本音で生きた方が夢が叶っていくのに。
知られたら困るほどの悪意を腹の中に溜めてるのか?


大体の人は、そんな悪意で満ちた腹の中はしてない。
むしろ、なんでそんなことを隠したいのか。と思うような小さなことを隠していることの方が多い。


でも、わかるよ。
他人にとっての小さなことが、自分にとっての大ごとであることは、往々にしてあるから。


隠したいと思うところには、必ずエゴがある。
そのエゴを開け放つことで、エゴは居場所をなくす。


錬金術ではそのように学ぶし、ずーっといろんな人のあれこれが聞こえていた人間からすると、そもそみんなもエゴありき。神様のような光そのもので生きてる人や聖人のような人はそうそういない。みんな建前を優先してる。だから、珍しいことでも何でもなく。みんなそういうもん。という感じだ。


まぁ、人間だもの。と思うし、それは人間である楽しみでもあるものね、と思う。
ただ、そのせいでご本人が思う人生を生きられず、困っているなら、「そこやで!」とは思う。


でも、変わるも、変わらないもその人の選択で、タイミングなのだと思う。
だから、わたしのような仕事をする人間は、一応、耳には入れておくね!という精神で手渡すことも時には必要なんだと思う。


そもそも錬金術は、答えを相手に渡すものではなく、答えに辿り着くまでの方法をあれこれ導き出すというものなので、問答する時間が結構大事だったりする。
人は人で磨く。みたいな感じとでもいうのかな、言葉と言葉を合わせて、磨いて、削ぎ落として、あぁ、これだ!に近づいていく。

ある意味、一気に変わるのは怖いんです。という人に向いている。
徐々に本質に近づいていくことが錬金術だから。


時には、パッと2段階も3段階も突き抜けていくことはあるけど、それは準備が手きていたからだと思う。パッと突き抜けた先では、内側と外側の波動を揃えていく期間は必要になるし、案外、結果は、ゆっくり行っても、パッと突き抜けても一緒なのかも知れない。


最近、わたしの聞こえる力がまた1段階磨かれたの何なのか、わからないのだけど、炎の音がよくわかるようになってきた。


アルケミストととして思いつく限りの波動を合わせてキャンドルを作ることが最近の趣味なのだけど、わたしは水の要素が強いので、あまり、火のエレメントに近づかなかったのだけど、最近、火が気になっちゃって、火というものの扱いを学んでいる。


波動1つで、炎も変わる。
当たり前っちゃ、当たり前なのだけど、なるほどなーと思うのだ。
音は光。炎も光ってるしね。理解するのはさほど難しくないのかもしれません。


こだわるほどに、材料と工程と手間暇がかかるのだけど、そこにこだわってしまうのも、実は、わたしのもつ背骨の音と関係している。


その話は、またの機会に。
結局人は、自分のもつ性質を活かす行動を自然としてるってことだと思うの。
自分でやったらダメ。と制限しない限りは、心がそちらに向いていくものだと思う。


みんなもっと自然に、身を委ねて、生きれるといいですね。と思う今日この頃です。
みなさまどうぞ、ご機嫌よう。



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