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【画家の小噺】 -画家カラヴァッジオ-

画家 カラヴァッジオ ©️LaColle

カラヴァッジオ

“ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ”

果物籠を持つ少年』や『ホロフェルネスの首を斬るユーディット』といった作品で有名な バロックを代表する画家です。
卓越した描写力とドラマチックな陰影により、臨場感あふれる彼の作品は見る人を惹きつけます。

『果物籠』(1595年 - 1596年頃)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)所蔵
『果物籠』(1595年 - 1596年頃)ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作
アンブロジアーナ絵画館(ミラノ)所蔵

細部に至るまで緻密に、そして写実的に描かれた、この『果物籠』は当時宗教画が主流の中で、敢えて“静物”を描くという挑戦的な作品でした。
艶やかなりんごに、瑞々みずみずしい葡萄ぶどうは、思わず摘んで食べたくなります。

この作品を観ていると、“きっと若い頃から真面目にコツコツと修練を積んで、この見事な絵画を描くに至ったのだろう…”と思われますが、冒頭のマンガにも描いた通り、このカラヴァッジオという画家の人生は、そんな考えを払拭するほど多くの波乱に満ちたものだったのです。

カラヴァッジオの様々な犯罪歴

豊穣の祝祭日である大天使ミカエルの日に生まれ、その名を賜った身でありながら、数々の犯罪に手を染め、同時に人々を惹きつける絵画を生み出した画家ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ。

その名は美術史だけでなく、当時の警察の記録にも残っているほどです。

彼が起こした事件を見てみると、
・夜、学生に棍棒で降り掛かる。
・軍曹を斬りつける。
・侮辱罪に、武器の不法所持、
ついには殺人を犯し、死刑宣告を受けるも逃亡。
その後も、騎士を襲撃し幽閉されるが、なんと仲間の手引きにより脱獄。

そうして、イタリア全土を股にかけた4年間にも及ぶ逃亡劇がはじまるのです。

その間、各地で多くの絵画を残したり、追手に見つかり生死の境を彷徨さまようも、九死に一生を得たりとエピソードに事欠きません。

カラヴァッジオと聖水

そんな彼ですが、有名な“聖水のお話し“があります。

ある時、カラヴァッジオが教会に入ると、罪を清める為に聖水を勧められます。ですが、彼はそれを一蹴したと言います。なんでも、“聖水では、俺の罪は消えない”と宣ったのだそう。

しっかりと自分が犯したことへの罪の意識はあったようですね。
ここで悔い改めて聖水をいただこうと思わないのが、カラヴァッジオという人物をよく表した逸話です。
自分を曲げないからこそ、周りに流されることなく、自身の表現を突き詰めた絵画が描けたのかもしれません。

ゴリアテの首を持つダビデ

『ゴリアテの首を持つダビデ』(1609年 - 1610年)ジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作

『ゴリアテの首を持つダビデ』

カラヴァッジオは多くの名画を生み出していますが、この作品をぜひとも知っていただきたいと思います。

羊飼いの少年ダビデが、ペリシテ軍の大柄な戦士ゴリアテとの一騎打ちに見事勝利し、その首を切り落とした場面を描いた作品です。

この絵は、そのエピソードになぞらえ、若き日のカラヴァッジオが老いた己を裁く姿を描いたと言われています。
小さく弱き者が、大きく強き者を打ち負かす。
憐憫とも侮蔑とも取れるダビデの表情が、苦々しくも物悲しくも感じ取れます。

逃亡の最中に描いたとされる、この1枚。
自身の恩赦のために奔走してくれている枢機卿に贈る物だったとの説がありますが、この絵の完成の後、間も無くして彼の逃亡生活は幕を閉じることになるのです。

※ペリシテ…現パレスチナの海岸沿いに住んでいた民族とされ、聖書の「士師記ししき」や「サムエル記」などに登場します。

カラヴァッジオの最期

カラヴァッジオは逃亡の最中も絵画の依頼をこなし、各地に作品を残しています。そんな彼の作品は、さまざまな地で多くの画家に影響を与え、結果としてバロック期が幕を開けたといえるのでした。
彼の逃亡が美術の発展に寄与したという、なんともいえない気持ちになるお話しです。

そんなカラヴァッジオは長い逃亡生活の末に、恩赦が出ると聞き、3枚の絵を携えてローマへ向かいます。
その中にあったのが“洗礼者ヨハネ”を描いた作品でした。洗礼者ヨハネは、“悔い改めた人々の罪を清め、洗礼を授けた聖人”で有ります。
もしかしたら、カラヴァッジオ自身の心境を表した物だったのかもしれません。

これで晴れて故郷に帰れる。そう思っていたカラヴァッジオですが、その思いも虚しく、故郷の地を踏むことのないまま道中で熱病に冒され、その人生を終えてしまいます。その亡骸は、国へ帰ることもなく、その地に埋葬され、人々から忘れ去られてしまったのです。

彼のような常識に縛られない画家だったからこそ、時代に影響を与え、後の美術に革新をもたらすことができたのかもしれません。

まとめ

彼の人生を辿っていくうちに、かの文豪、小林多喜二の言葉が思い出されます。
「闇があるから光がある。そして闇から出てきた人こそ、一番本当の光の有り難さが分かるんだ。」
カラヴァッジオの人生はその絵画同様、深い影があるからこそ、彼にはより一層、光が輝いて見えていたのかもしれません。

『法悦の聖フランチェスコ』(1595年頃) ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作ワーズワース美術館(ハートフォード、コネチカット)所蔵
『法悦の聖フランチェスコ』(1595年頃) ミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジオ作
ワーズワース美術館(ハートフォード、コネチカット)所蔵

※今回、カラヴァッジオの名前を“カラヴァッジオ”と表記しましたが、“カラヴァッジョ“として書かれることも多いです。

参考書籍:『奇想の画家たち』杉全美帆子 著 2014河出書房新社 出版


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