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【子育て】情報必修化について【教育】

こんにちは!アラサー♂大学職員のL_NeRです。

はじめにー情報必修化とはー

近年、学習指導要領の改訂に伴い、学校教育が大きく変わりました。

特にスポットライトが当たるのは情報必修化だと思います。理系研究職を経て高等教育に携わる私としては、よく耳に入るテーマであり、考えさせられるものでもあります。

小学校から大学までの段階での変化を簡単に列記すると以下のような形です。

小学校
各教科のなかでプログラム的思考を学ぶ

中学校
技術や家庭の時間で触れる

高校
授業科目として履修する

大学(受験)
入学試験に課せられる場合がある

こう見ると小学校から少しずつ情報に触れる機会が増えていき、最終的に大学受験にまで及ぶということですね。

とても端的に記したので深く知りたい方はお国の公式情報をご覧ください。

ご覧になって大人のみなさんはどう思うでしょうか。「むずかしそう」とか「意味なさそう」などのネガティブな意見から、「うちの子もプログラマーになれるかも」といった期待まで、賛否両論様々だと思います。

私見は以下のとおりです。
①プログラマーを育成するわけではない
②大学受験生は大変
③方針自体は悪いものではない
④今の大人が意識を変える必要がある

①プログラマーを育成するわけではない

「我が子の将来はプログラマーが約束されるなんて安泰!」と考えていらっしゃる保護者の方もいるかもしれませんが、きっとそれは間違いです。

前提として、プログラマーとして活躍している人たちって、興味をもってゴリゴリ自分で勉強していく資質の方が多いですし、実際に歳を取っても生涯勉強の職業です。

自分が作ったプログラムに死ぬほどエラーが出てきたりうまく動かない様子を見て、トライアンドエラーを繰り返して自力で解決していくことが大変なもののおもしろいところであり。自分で探求していくのが好きだったり、エラーやバグに負けないむしろ楽しむくらいの素養が必要だと思っています。

学校で習うことで機会は与えられるものの、これらの素養が身につくわけではありませんし、たかだか授業科目の一部のみでその水準までいけることは稀でしょう。仕事にするなら高度な数学や物理の能力が必要な場合もありますし。学校教育のみでみんながプログラマーになれるということはないと言うのが持論です。学校での学習がきっかけで、目覚めて自発的に高まっていく子たちはいると思いますけどね。

例えて言うなら学校での英語教育のような結末になるのではないでしょうか。情報を学ぶなかで繰り返し処理や条件分岐という概念があることはわかるものの、それを使いこなすことはできない、もちろんプログラムも書けないと言った状況になるのかなと思います。何年も英語を勉強していて基本的な文法はわかるのに、会話はできないという展開と似ている形を想像しています。かく言う私も英語は苦手なので偉そうなことは言えません笑。

②大学受験生は大変

純粋に受験科目が増えるので負荷は重くなりますよね。しかも大学入学共通テスト(旧センター試験)の科目になるわけですから重要視されていることが窺い知れます。

それに情報の勉強って、苦手な人が多い数学や物理よりも癖が強い分野だと思います。最も重要なポイントは、圧倒的に論理性が問われるところ。人を選ぶ科目の上位に君臨するだろうなあと予想しています。前提知識のインプットはある程度必要ですが、勝負になるのは筋道立てて考えられるかどうかってところです。暗記ではどうしようもない部分がたくさんあります。論理性をみるにはうってつけな分野なわけです。

多科目受験は負荷が大きいので情報を課さない大学が人気になったりするかもしれませんね。

我々大人から見るとこれからの受験生は大変になるなあとどうしても思ってしまいます。でも、昔と比べて大変だなあという意味で。当事者のみなさんは大変だとかは関係ないですよ。みなさん同じ条件での受験です。むしろ、昨今記述を重めにして思考力を見るみたいな流れがあったわけですから、さらに論理性を求められることは至極当然な動きかなあと思います。

③方針自体は悪いものではない

私自身はこの改正はポジティブに捉えています。理由は2点。

1点目は、子供たちみんなにとって情報に触れる機会が増えるため。従来は子供のころから情報に興味を持つ人ってひと握りだったと思います。その機会が平等に全員にとって増えるって素晴らしいことだと思います。情報は論理性を問われるし誰にでもとっつきやすい訳でもなくセンスも必要です。そんな学問だからこそ、今まで機会がないがために埋もれた才能もあったと思いますが、機会を与えられて興味を持てば輝く子たちが一定割合いるはずなのです。情報を必修化するのは、才能に気づかせるきっかけとして、重要な取り組みだと評価します。

2点目は、思考力の強化が図れるためです。前項で述べたとおり、情報には筋道立てて物事を検討する能力が必要です。個人的な見解ですが、文科省が情報を必修化する目的は、コンピューターやプログラムに詳しくなることではないと思います。きっと真の目的は、深い思考力を持った子供を育成することにあると思います。目まぐるしく状況が変化する時代だからこそ、何に価値があって自分が何をすべきなのか、論理立てて考えられる人材を増やしたいのではないでしょうか。
良くも悪くも日本は同調圧力が強く標準から外れると叩かれるお国柄です。しかし、みんなが思う普通をやっていては、何も変革しないので日本が衰退する一途であることは間違いありません。それを将来を担う若者に押し付けようと言わんばかりに教育ばかりにメスを入れることには私は批判的です。しかし、まずい状況にあるからどうにかしないと、という姿勢にはとても共感します。

この改正に対して批判的な意見をいくつか拝見して、よくある日本式の座学メインでプログラミング能力が磨かれるわけがない、手を動かしてナンボみたいなものを目にしました。プログラミングに限らずですが、わたしもそう思います。教科書や本を読むこと、授業聞くことは大事ですが、それで終わっていては何もできるようになっていないのです。世の中の既知の仕組みを話で聞いただけであったり、先人の知恵や考えを知ったりしただけ。自分のできることは何も変わっていません、本を読んで話を聞いても、やる前の私から大してなにも変わっていません。そのようなインプットを受けて、どう行動するかが重要なところです。そう言った意味で、一方的な講義メインの日本式の教育で、プログラマーなんかになれるか!っていう意見については同意する部分があります。
ただし、勘違いしないでほしいのは、前述したとおり、お国はプログラマーを大量排出することが目的ではないんじゃないの?ってところです。授業として情報を課すことについての目的は、プログラマーの養成ではなく、思考力の底上げだと考えております。その手段として情報教育が採用されている、と言えばいいでしょうか。

そのため、深い思考力を養うために情報教育を重視しようとしている国に対して、「何もわかっちゃいないようだが、手動かさないでプログラマーになんかなれるか!」という批判の仕方は全く噛み合っていないと思うのです。きっとお国も、そりゃそうだろ何言ってんの?って感覚なのではないでしょうか。

才能を取りこぼさないきっかけ作りと、時代を生き抜くための思考力を養うという目的であるならば、とても良い方針だと考えています。
(結局のところ、真の目的はわからないので全て持論ですが笑)

④今の大人が意識を変える必要がある

情報必修化の価値を向上させるために、我々大人が意識を変える必要があります。彼らの保護者という視点と彼らは将来の部下という視点でお話します。

保護者であるという視点について。
小学校の頃から情報を学んでいる子供と、ひょっとすると情報には疎い大人。もし、自分の子供から情報に関する宿題教えてと言われたら教えられるでしょうか。何度も言いますが、情報は論理性が肝になる学問です。実現する行程は何通りもあるにしても、その全てに絶対的に正しい理屈があります。それにも関わらず、子供たちにとっては算数や国語と同じ。学校で勉強していることの一部に過ぎません。誤ったことを言ってしまったら、自分の親は論理的ではない(=たいした思考力をもっていない浅はか)と思われるかもしれません。それを避けるために、自分たちは習っていないから知らないという逃げの手段を取るのもよろしくなく。知らないで済むなら勉強しなくていいのか、って印象を与えてしまいそうです。
子供にとって親はかっこよく頼れるものであってほしいわけですから。我々保護者も情報の教育がどんなものか向き合うことが重要です。情報に関する知識はもちろんですが、プログラミングや情報を学ぶとどのような思考プロセスが身につくのかを理解していると尚良いと思います。

次に彼らが将来の部下になるという視点について。

まずは自身の経験から思うこと。
自分自身は理系の職場から大学事務に転向しました。研究職をしていた頃は真の専門の技術領域は別であるのですが、総じてプログラミングに関する知見はみんなが当然もっている職場だったのです。作業効率化の面、みんなで物事を進めていくプロジェクトマネジメントの面、あらゆるリスクを想定して潰していくリスクマネジメントの面で、プログラミングは常識でありコモンスキルであったわけです。

そんな職場にいたものだから、何か提案をするときや、問題発覚したときの考察を述べるときって、論理武装していかないと必ず負けてしまうのです。気持ちいいくらいボッコボコにされます。相手は理屈の塊みたいな人たちですからね。それゆえ当時はがんばって考えて論理立てて説明することをたくさん練習して、それなりにこなせていました。

打って変わって現在は大学職員。当時ほどガチガチに論理固めていかなくてもせいぜい半歩先くらいまで見ておけば、よく考えていると主導権をにぎらせてもらえる、やらせてもらえる職場です。みなさん優しくて任せてもらえて素敵なところです。

でもそんなところに、思考力高めな子たちがワラワラっと入ってくるわけですよね。ゆとり世代の我々よりは思考力を重視した教育を受けた子たちが将来部下になります。考え方も論理的で、経験と知識だけでやっている仕事や、慣習とか忖度でやっている無駄なことが通用しないかもしれません。考えの甘いことを言ったら年下からでもバサバサ切られるかもしれません。なんとなく私は、研究職していたころの立ち回りに戻ればいいのかなーとか想像しております。年齢問わず活気ある議論ができる相手が出てくるのって少し楽しみなところもあります。

より良くしようと、正しいことを言っている部下の話を理解できないのってお互いにつらいと思います。ましてや、頭ごなしにいいからやれなんて最悪です。自分たちとは考え方の違う子たちと一緒に働くことになる。それがわかっているのなら、歩み寄るために彼らがどんな教育を受けてきているのか、私たちも知っておく方が良いに決まってますよね。

自身の子供に見せるべき親の在り方を考えるために、そしてジェネレーションギャップのある将来の部下に歩み寄るために。私たち大人こそ、情報必修化を重く受け止めて、子どもたちより先に学んでいかないといけないのかもしれません。

おわりに

長々と書きましたが、情報必修化は良い取り組みだと思います。また、子供たちのためにも、日本を支えるためにも価値のある結果となってほしいと願っています。当事者たちががんばって勉強するのはもちろんですが、我々大人はもっとがんばりましょうね!

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