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木漏れ日---Almaty,Kazakhstan

砂の渇いた匂いや朝の爽やかな風への懐かしさ、名残惜しさを抱えながら、ウズベキスタンの首都タシュケントから17時間かけてカザフスタンのアルマトイに戻ってきた。前日のサマルカンドータシュケント移動の後、24時間営業のラグマン屋で休憩し、夜明け前までホームの待合室で座っていた疲れで、17時間のうち12時間は寝てしまっていたのだが、起きた後は同室のおばあちゃんと青年とおしゃべりを楽しんだ。彼らとの他愛のない言葉の交わし合いから始まり、最後降り立った電車のホームでおばあちゃんと握手をし、お互いの無事を祈り抱き合ったこと。おそらく年が近いであろう青年が彼のお兄さんと一緒に私の宿まで送ってくれ、私がチェックインや支払いに困らないようにと宿のスタッフと話してくれたこと、無事を願ってくれたこと。こうして旅を安心して続けられるのは、まぎれもなく周りの人々が助けてくれているから、そしてその人たちもまたその周りの人々に助けられていたり、手を貸してほしいと頼んだりしているのが見られるからだと思う。


これまでの旅の記憶を思いながらさまよい、まどろみながらいつの間にか眠りに落ちていた。サマルカンドでの観光客の多さに疲れてしまった(もちろんサマルカンドブルーのモスクやメドレセはとても美しくて、見に来れたことにとても感慨深さを覚えたのだけれど)ので、カザフスタンのアルマトイでは、やってみたいと思っていた山登り以外は、休みの日に家の周りを散歩するように、ゆったり街をふらつくことにした。
そういえば、カザフ語で「カザフ人」は”Qazaq(カザク)”といい、"Qazaq"とは「放浪者」「自由の民」という意味だそうだ。私たちは本来、流れゆき、移ろい、還ってゆくことで自分と他者の自由を抱きしめていけるのではないか。幾度となく訪れる別離と喪失の旅の中で、彼らのまなざしに滲む愛がどれほどの大きさなのか、わたしにはきっとわかるはずもないのかもしれない。

バザールでラグマンを食べ、おやつ用のドライフルーツ(アプリコットがとても大ぶりで甘かった)を買い、様々な食材や衣服売り場を覗いては、店番の人とおしゃべりをした。スカーフ売り場で話の弾んだ店番のカザフ人女性とは、お互いの名前の由来を聞き合った。彼女の名前の由来は「鹿」で、イスラーム教のチャントのようなものに出てくる鹿の名前だそうだ。彼女に与えられた名前が、故郷の土地や信仰、動物などとつながっていることや、ここに咲く祈りであることを実感した。

アルマトイは街中に緑や公園が多い。道を歩いていると遠くには天山山脈の峰々が見え、天蓋から緑のカーテンが降りてくるように坂道の両手に木々が立っている。公園の中を歩いていると木漏れ日がきらめき、優しさというものがこんな風に柔らかく降り注ぐ木漏れ日のようなものだといいな、という気持ちになる。とても既視感があったがどこだろうと考えていると、このような風景はキルギスのビシュケクに似ていると気づいた。生えている木々の葉の形や匂い、天山山脈へ近づくにつれ坂道が増えてくる地形、それから歩道のいたるところに階段やスロープがあることもビシュケクに似ていた。
アルマトイとビシュケクはかなり近いので、地理的な条件が似ているのだろう。
アルマトイにいるのにキルギスのビシュケクを、ビシュケクの匂いや色、感じた寂しさや喜びを、滞在中何度も思い出していた。世界はやはりちゃんと繋がっているのだと。地図上で目にし境界だと認識している国境線は、ただ人間社会の都合によって引かれたものであって、境界というものはもっと別のもの・場所に存在しているのではないか、またもしくはどの国にいたとしても、境界線を引き分断されているのではなく、グラデーションのように差異が存在しているのであってみな繋がっているのではないかと。

そんなことを考えながらパンフィロフ公園へ入ってゆき、空いているベンチに腰掛けた。自分の瞳に映っている木漏れ日や肌に触れる針葉樹の香りを乗せた風が心地よかった。この場所では碧く冷たい匂いが立ち上っている、ただそれだけのことだったけれど、それは十分に自分がここへ来た意味があったのだと思う。しばらく座っていると眠気がやってきて、ベンチで30分もうたた寝をしてしまった。湖面でゆらゆらと揺れ動いているような感覚の中で、この世の果てに行ってしまったかのような遠さを感じた。死んでいくときはこんな風に静かな湖の中で揺れ動きながら身体だけどこか遠くに舞い散っていくのだろうか、と寝起きのままならない頭の中で考えた。心はそのままその場に残っていたらいい、とも。

18時を回り日がだんだんと傾き始めたころ、水煙草を吸いに気になっていたシーシャ屋へと向かった。テラス席に座ることができたのがとてもうれしかった。外で吸う水煙草は格別だ。ふと、一人であることを突然実感した。この旅の中で、各時代における力の強い勢力に支配され続け、激動の歴史をつないできたウズベキスタンやカザフスタンの人々のことも、それぞれの人の中にある物語も、それらを見下ろし続けてきた天山山脈の荘厳さも、これっぽっちも理解することはできないのではないか、理解したなどということはこれからもずっと言えないのではないかと思い、一気に寂しさがこみあげてきた。2週間弱の短期間で何が分かるのか、というのは当然のことなのだけれど。それでも、もう少しだけ、そばにいさせてもらえないだろうか。もう少しだけ、近くに行かせてもらえないだろうか。

このアルマトイの街中を歩く度に想う。肌に触れる風のことを。
ざわめく葉の音のことを。降り注ぐ木漏れ日の眩さを。行き交う人々の声の色を。ただただ、この街や人々と出会った記憶を瞼の裏に焼き付け、交わした言葉を思い出し続けていたい。そしてまた、風になびく草原のように優しい彼らに手を握ってほしい。


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