【許せない話】小学1年生、巨人に殴られる
こんにちはKANです!!!
昨日は賞味期限が4日ほど切れてしまった牛乳が半パックほどあったので、ある程度は飲んで、
(飲んだんかい)
残りは浴槽に入れて牛乳風呂に入りました!
時にみなさん、
「自分は悪くないのに怒られたり、
理不尽な目にあって許せない思い出」
ってありませんか?
根に持ってしまって、かなり昔のことなのに覚えてたりする。
今日はそんな体験について語っていきます。
※「わかるわかる〜ムカつくよねえ」的な話にしたかったのですが、
思ったよりも悲痛で可哀想な話になってしまいました。
違う雰囲気の記事が読みたい方は、
私が書いた記事史上、最も頭を空っぽにして読めるこちらの記事をお読みください。
(ちなみに早めに公開された割に最も読まれていない記事です)
登場人物紹介:Aくん
時は20年前、私が小学校一年生の頃の話だ。
クラスで一番背の高い、
それはそれは恐ろしいAくんという男がいた。
小学校一年生の頃の話をしようとしているが、
思い出補正もあって彼は当時から170cmくらいあったんじゃないかと思う。
(それはない)
当時の私の印象だと、
彼は力が強いだけでなく粗暴な性格で、
クラスでも浮いていたように思う。
もうジャイアンだ。
巨人だ。
ジャイアントだ。
小学校低学年の頃の僕は彼に何度も暴力を振るわれたり、
しつこく付き纏われた思い出がある。
これじゃあのび太だ。
彼が小4くらいのタイミングで家の事情で転校してしまってからは、
現在まで一切会っていない。
でも正直あそこで転校してくれて良かったと思ったりもしたし、
当時の自分はその知らせを聞いて、
胸をなで下ろすような思いだった。
(そうでなければ基本的に中3まで学校が一緒ということになる。
僕の小学校は1クラスしかなく、
中学にあがっても2クラスしかない、
そんな狭い世界に生きていたのだ。)
小1殴られ事件
ある時の休み時間だろうか、
小学一年生の僕は自分の席から移動し、
教室を出て廊下に出たところだった。
そこに疾風の如く、斜め前から現れた。
Aくん率いる3人組だ。
本当に急な出来事で、
歩いてた僕に対して突風が吹いたように浴びせられた。
拳が。
腹に。
思い切り。
みなさんは、歩いていたら急に殴られたことがあるだろうか。
衝撃だ。
私は今でこそ平均以上の身長があるが、
小学一年生のころはクラスの中でも小さい方だった。
その体にとっては体感170cmの巨体のあいつが、
「ウィ〜」
と思い切り殴りかかってきたのだ。
「理不尽」という言葉すら知らない僕にとっては意味不明な出来事、
何よりも腹部から上がってくるように押し寄せる痛みに、
ひたすらに泣くしかなかった。
子供が泣いている時に
「泣けば許されると思っているのか」などという言葉を聞いたりもするが、
少なくともこの時の僕は反射的に、そう、致し方なく。
泣いていたと思う。
その様子が、
どうにかこうにか担任の「おばさん先生」に伝わって、
Aくん率いる3人組は先生に連れられて、
教室の隣の多目的室で話すことになった。
一方で僕はなんとか回復を試みてはいるが、
泣き止むことが出来ずにいた。
この時の僕が東京喰種を知っていたら、
泣き止むために痛みが引くまで1000から7を引いていただろう。
そしてしばらくしてから、
まだ泣きやめていない私も、
多目的室に呼ばれた。
そこには少し泣きそうな、
深刻そうな顔になった3人組と、
先生と、僕。
すでに僕以外の4人で、
事の顛末は話していたようだった。
ここで期待できる展開は、
先生が間に入り、
3人から僕に謝罪をさせて、
この事件を仲裁してくれることだ。
先生「戦いごっこをしていたんだってね」
3人「はい」
知ったことか。
僕はただ歩いていたら辻斬りにあったのだ。
先生「じゃあ、もうそういう遊びはやめようね」
ん?
なんで僕の方も見て言ってる?
先生「4人とも気をつけて遊ぼうね」
????????
僕がいないうちに、
「4人で戦いごっこをしていた」
ことになっている・・・???
これは恐らくだが、
僕はもちろんだが3人とも戦いごっこなんてしてなくて、
ただ3人で廊下を走っていたらテンションが上がったAくんが気まぐれに僕の腹を殴っただけだ。
それが、
3人が先生に事情聴取されているうちに事実が歪曲されてしまっていた。
更に推測が続くが、
たぶんAくんたちは、
責任を回避しようと全力でずる賢さを発揮して事実を捻じ曲げた訳でもい。
恐らくまず状況を見て大まかに状況を察した先生が
「4人で何かをしていた結果こうなった」
と思って尋問したことがきっかけで、
あれよあれよと「そういうこと」になってしまったんだろうと思う。
並大抵のおばさんの思い込みは、簡単には覆らないし、
並大抵の子供には、大人の勘違いをうまく訂正できたりできない。
そんなわけで、
「4人とも気をつけて遊ぼうね」
に対して僕は「はい」と言ってしまった。
多目的室の話し合いが終わるまで涙と嗚咽が止まらなかった僕にとって、
この場を収めることで手一杯だったのだ。
20年経った今でこそ、この出来事をこれだけ分析できるが、
それができる言語力も持ち合わせていなかった子供がずっと、
言いようのない違和感を抱えていたのだった。
おわりに
ここまでお読みいただきありがとうございました!
過去の自分の傷を弔うための記事、
みたいなことになってしまいました。
いま私はnote毎日投稿をしているので、
今回「昔の許せない話でも書いてみようかな」と思いましたが、
それまでこんな出来事を詳しく文章化することがあるなんて思ってもみなかったです。
20年も前のことだというのに書いていると思い出して途中でムカムカすることもありましたが、
こうして冷静に自分の気持ちと向き合い言語化することが、
自分のスキル向上になると信じております。
こうして一度振り返って学ぶことがあったら、
あとはマイナスな気持ちは忘れて前向きにいきたいですね。
※もう一度言いますが、私は基本的には楽しい記事を発信していきたく、
頭を空っぽにして読めるこんな記事もあります。
(ちなみに早めに公開された割に最も読まれていない記事です)
切り替え、前向き、成長!最高!!!!!
トップ画像引用元:https://girlschannel.net/topics/2123799/
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