僕らは、はかられる。そして僕らをはかる物差しを僕ら自身で選べるんだ。

だからすすんで、楽しんで、自分に合う物差しを探しにいこう。

測りたくなくても、人を測らなければならないことはあるのだろう。
学校の入学試験。会社の入社試験。
なんならずっとはかられているのかもしれない。

はかりは世の中にたくさん存在する。いろいろな物をはかるために。

当てる字も
測る、計る、量る、
たくさんある。

もちろんその尺度も。
重さ。長さ。大きさ。密度。温度。湿度。...

それはもう捉えられる物の数、単位の分だけはかりも増やしてきたんじゃないかと推測する。

難しくて、慎重になるべきは、立場的上位者が下位者に対して、はかりを使うときだと思う。

例えば、
 教育者が学生に、
 親が子供に、
使う時。

こういう時、単一のはかりへの依存は大きな可能性をあっさり潰す。

上位者はそれを理解し、その上ではかりかたを選ぶ必要があると思う。
一つの物差しにはかれるものはそのものさしの上でのことでしかなく、それ以上でもそれ以下でもないことを理解し、慎重に選んではかりは使う。
上位者にあたる人がひとつのはかり方にとらわれて、いつもそのはかりしか持たないことは狂気的であり、
社会的な下位者、被教育者の持つ、そのはかりでははかり得ない可能性を潰すと思う。

極論、誰にもどんな仕組みにも他者を完全にはかるものなんてないと思う。
大事なのは、はかってもらうはかりは自分で選べるということ。
自分で選んで、自らそのはかりを使ってくれる領域に行き、はかられようとするべきであるということ。
自分に合わないはかりに固執し続ける理由はないということだと思う。

個人が自ら選んだ指標の上ではかり合い競争することは、その指標の関わるものの発展に大きく寄与することもまたあるだろうと思う。

自分が高校や大学で感じたのは単一の物差しにとらわれすぎているということ。自ら選んで、本気でその物差しの上に乗って、はかり合い競争しようという人に、
また、自分に合う物差しがこれじゃないなら、そこから出て他の物差しに変えてでも本気で、豊かに生きようとする人に、
出会えると嬉しいしワクワクする。
そして、これがなんだか色々なところで蔓延っている無気力な空気感をあっさり変えてしまうときたいしている。

僕らは、はかられる。そして僕らをはかる人/領域/場所は僕ら自身で選べるんだ。

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