要するにダラダラしたい
せっかくだから、専門分野で思っていることを書き出してみる。
休符は無音の時間である。
だが演奏していると、休符が実は何もしていないという訳ではないことを実感する。
また、音が一斉に止まるG.P.(ゲネラルパウゼ)や、変奏曲のバリエーション1から2へ進む際の間の“無音の時間”にも同じ様なことを感じている。
休符は身近な生活の中に見つけることができる。
例えば、学校や仕事の合間の休憩時間。
あれが曲中の休符だと思う。
一日の流れの中に組み込まれている普通の休み時間…しかし休憩明けの仕事や勉強に備えて、気分転換や準備をする時間でもある。
休日のような完全な休み感は薄い。
そして、仕事が立て込んで忙しい日が続いてやっと一段落したあとの予定の無い連休はG.P.のようだ。
急な休みは何をしたら良いかわからないし、連休明けに通常の仕事量に戻るとなったらもう、まさにピッタリのシチュエーションである。
しかしこの連休中、しっかり心身をリセットできるか否かは、休み明けまた仕事を頑張れるかどうかに影響する。
鳴らす音があっても無くても、時間だけは前に進む。
たとえタイムマシンが登場しても、自分の身体が若返ることは叶わず皆平等に年を重ねる。
進む時間の中で、寝たりリラックスしたり明日の準備をする時間が“休み”であり“休符”なのだと思う。
そう考えると“休み”をしっかり“休み”として過ごすことは、一見何もしていない様に見えて実はとても大切な時間である。
…ということで、休日は心置きなくダラダラしよう。