私は日頃エビフライを自ら進んで欲さない。 ご飯屋さんに行ってメニューを見たらいつもなんとなく選択肢から外れるし、家でも食べたいと思ったことはない。 でも嫌いではない! タルタルソースは大好きだし、身のつまった美味しいエビフライに出会うと、尻尾まで大変美味しくいただいている。 私がエビフライを選ばないことに、特に深い意味は無い。 話は変わって、あるとき家で映画を見ていたときのこと… ろくにあらすじを調べず映画『ミスト』を見始めたところ、思った以上にSF要素の強い作品だ
楽器を約一年半お休みした。 こんなこと初めてだ。 もはや事件。 ライスワークとなり得る資格取得の為に。 勉強を始めた時ちょうど良いタイミングでコロナ禍に突入したので、自然な流れでお休みに入ることができた。 そして、年季の明けた今である。 無事に合格を貰いライスワークもゲットし楽器を再開したは良いが、いろんな意味で練習が続かない。 まず身体が衰えた。 演奏に使っていた筋肉が根こそぎ消え失せた。 しかしこれは悪いばかりでなく、良くも悪くもまっ更な状態となったのは好都合だ
わりと片付けは苦手な方だったはずなのに、いつのまにか部屋を綺麗に保てるようになっていた。 休みの日はたいてい片付けと掃除をしているし、なんなら観葉植物とか育てちゃってる。 よくあるやり方だけど、 ①物の住所を決める ②出したら戻す ③毎日こまめに片付ける を意識したら部屋が散らからなくなった。 そもそもキレイな部屋に住むことにしたきっかけは、友人を家に呼びたかったからだ。 汚い部屋よりも片付いた部屋に呼びたかった。 ものを捨てて整理し、掃除をするというのは大変な作業だっ
すごーく久々に書きたくなりました。 たぶんこれはあまり良くない気持ちの吐き出し… ここ数年、生徒の立場にも先生の立場にも立つことが増えた。 師弟関係とは、双方の信頼の上に成り立つものと思っている。 そしてその信頼は、一長一短に結ばれるものではない。 先生側はある程度演出もするだろうし、生徒側は最初から無条件に信用することはないだろうし。 あくまで私がそれぞれの立場になったときの感覚だけれども。 だから生徒と先生は対等であるべきだし、お互いをの話をしっかり聞いて受け入
昔から感情があまり表に出る方ではなかった。 というか、特に子供の頃は自分の感情がよくわかっていなかったのだと思う。 それなのに進学先は音楽系を選んだ。 リスナーとプレイヤーは違うなと感じる。 両者の間に、溝はあると思う。 もともと聴くことが好きだった。 そしてピアノを習っていた。 子供の頃は2者の間の溝を感じていなかった。 だから10代半ばで進路を決めるにあたり、漠然と『音楽好きだなー』だけでプレイヤーの勉強を始めた。 たぶん当時は本当は聴く方が好きだったんだと、
せっかくだから、専門分野で思っていることを書き出してみる。 休符は無音の時間である。 だが演奏していると、休符が実は何もしていないという訳ではないことを実感する。 また、音が一斉に止まるG.P.(ゲネラルパウゼ)や、変奏曲のバリエーション1から2へ進む際の間の“無音の時間”にも同じ様なことを感じている。 休符は身近な生活の中に見つけることができる。 例えば、学校や仕事の合間の休憩時間。 あれが曲中の休符だと思う。 一日の流れの中に組み込まれている普通の休み時間…しか
今、色々と追い込まれている… 確定申告とか諸々の期限とか、とにかく色々。 とっても辛い、そしてしんどい。 正直すでに心は折れている。 しかも、嫌なことは重なる。 きのう課題が増えた。 期限は来週月曜日。 困った………! 今週は本業のために時間を使うつもりだったのに。 そもそも先週あたりから、ここ半年分の無理が祟り心身ともに絶不調だったのが原因な訳で。 ………こんなとき愚痴や弱音を素直に言える性格だったらと思う。 なんで言えないのかと言われれば、今まで言わなくても