エビフライと私の距離
私は日頃エビフライを自ら進んで欲さない。
ご飯屋さんに行ってメニューを見たらいつもなんとなく選択肢から外れるし、家でも食べたいと思ったことはない。
でも嫌いではない!
タルタルソースは大好きだし、身のつまった美味しいエビフライに出会うと、尻尾まで大変美味しくいただいている。
私がエビフライを選ばないことに、特に深い意味は無い。
話は変わって、あるとき家で映画を見ていたときのこと…
ろくにあらすじを調べず映画『ミスト』を見始めたところ、思った以上にSF要素の強い作品だったので開始早々不安になった。
最後まで見終えることができるのだろうかと…
私はSF映画にもエビフライと同じ距離感を感じている。
その場に一緒にいた友人にこの話をしたところ、全く共感してもらえなかった。
「好きじゃないなら見なくていいじゃん!」
と言われてしまった。
でも嫌いではないんだよ!!
この時、この感覚を皆が必ず自覚してる訳じゃないことを悟った…
ちなみに『ミスト』は、最後まで無事楽しむことができた。
この絶妙な距離感の正体、私的見解としては所謂“グレーゾーン”というものなのだと思う。
“好き寄りの普通”とか“好きだけど嫌い”とか。
人の感情はグラデーションで、複雑で、一筋縄ではいかない。
それにグラデーションの白と黒の間の部分は、グレーだけでなくカラフルでもあるはず。
白と黒の間にはたくさんの可能性が広がっていて、その存在を認めることが“多様性”なのでは…と考えてみたり。
グレーゾーンの広さは、グラデーションの鮮やかさが増すように人間的な面白さに繋がっていく。
あと個人的に、曖昧さからは優しさと色気を感じる。
…とはいえ適用する物事は選ぶんだろうけど。
こんな感覚、どう思います?