「けい」身近な文化を目指して”創作広場をつくろうを終えて”レポート2024.
初めまして。
関東で役者をしています。
地域密着型一人演劇ユニット『赤キノコ山と蒸したお酢』、創作広場「けい」作家部・俳優部のオガワジョージです。
今回は2024年3月24日に世田谷区の経堂で開催した、
オープンコミュニティ交流会「創作広場をつくろう」の制作レポートです。
イベントの様子や過去の記録に興味のある方は下のリンクからご覧になれます。
このnoteマガジンはブランディングの一つとして、地域に向けた活動記録を公開し、経験を共有することを目的に行っています。地域への表現活動に関心のあるクリエイターさんに見ていただけたら嬉しいです。
各章のおわりにそれぞれの章の内容をまとめた項目を入れました。
さっくりと読みたい方は目次を活用していただけたら幸いです!
はじめに
ざっくりと企画の位置づけを説明します!
創作過程や企画意図など、詳しくはこちらのnoteにまとめられています。
もしご興味ありましたら覗いてみてください。
今までの制作レポートは、
企画立案から打ち合わせ、制作期間などを時系列でまとめていました。
今回の制作レポートでは、
ある程度上記のnoteでその過程をまとめているため、
「地域に開く演劇」についての5年間の活動の総まとめレポートのような意味合いになります。
僕は「地域に開く演劇」をテーマに、3つの活動を行っています。
「地域に開く演劇」を簡単にまとめると、
劇場以外で演劇的なやり取りのある空間をつくることです。
演劇になじみのない方にはそもそもイメージがつかないと思いますが…!
普段演劇は「劇場」という「舞台表現に特化した場所」で行います。
そうではなく、地域のお店や公民館などで演劇をやるイメージです。
ここについては2章で詳しくふれるので、
「地域のお店や公民館で何か表現活動がしたいんだな」と考えてください!
このような活動には2つの目的があります。
僕は「地域に開く演劇」の3つの活動によって、
2つの目的が同時に達成できるかどうかを実践して調べています。
一昨年に開催した地域密着型展示会「人間賛歌」という企画では、
2つめの目的に沿って調べました。
個人的に、演劇コミュニティはさまざまな問題を抱えていると思います。
・金銭や情報の流れが演劇コミュニティ内で巡り、外に向かわない状況
・ハラスメントが起こりやすく、隠されやすい状況
です。
これらが「地域に開いた演劇」によって解決に近づくのかという検証です。
noteを始めた頃と比べると、最近は業界全体で開こうとする流れが強まり、制作現場のあれこれを公開する活動が増えてきています。
結果は「少なくとも近づけそう」というものでした。
演劇になじみのない地域の方々に向けて、活動をすべて公開しました。
そういった場づくりを継続することで地域に根づき、コミュニティとの結びつきが深まると感じました。
小さいながらも「新しい金銭や情報の巡り」が生まれ、
地域の方々の目によって「ハラスメント防止の意識」が高まりました。
それを踏まえたオープンコミュニティ交流会「創作広場をつくろう」は、
1つめの「演劇を身近な文化にしたい」の目的に沿う企画でした。
もっと演劇になじみのない方々に向けて活動を公開しようとしました。
そもそも創作広場とは…
演劇、音楽、映像、文学、美術などそれぞれの分野の垣根を超えて、「表現」という関心でプロもアマチュアも一般人もゆるくつながるような、開いたコミュニティのことです。
「開いたコミュニティをつくる」ことが、
「演劇を身近な文化にする」こととどうしてつながるのかというと…
何人かで演劇を制作する過程と、
さまざまな文化的背景をもつ方々が共同する過程は、
とても似ていると考えるからです。
そのため僕のなかでは、
「色んな人に演劇を体験してほしい!」と、
「色んな人に開いたコミュニティに入ってほしい!」が同じ価値観です。
演劇になじみのない方々に向けて活動を公開し、
開いたコミュニティに入ってもらい共同を体験すること。
これが劇場以外で演劇的なやり取りのある空間をつくることです。
これから調べるために、問いを整理してみます。
この制作レポートでは、
1.「身近な文化」の観点をしぼり、ゴールを明確にする。
2.現状の「地域に開く演劇」について詳しく共有する。
3.感想をもとに”開いたコミュニティ”ができたか検証する。
4.身近な文化への手がかりになるか検討する。
の流れで進めます。
いつものように長いですが、お付き合いいただけたら幸いです!
1.「身近な文化」の観点をしぼる
「〇〇は身近な文化だ」と言うには、さまざまな観点が必要だと思います。
この章では大きな枠で身近な文化とは何かを考え、要素をまとめてみます。
「身近な文化」ってそもそも何なんでしょうか。
言葉の意味から調べてみます。
「身近」の意味はこちら…
どちらもしっくりきます。
「文化」の意味はこちら…
これだけではちょっと分かりにくいかもしれません。
言葉の意味を合体させてみます。
何となくぼんやりとしていた「身近な文化」がはっきりしたと思います!
※1章に出てくる「演劇」は、劇場で行う舞台表現をイメージしていただけたら幸いです。
僕は俳優なので、身体的に演劇の場に近く、関係も深いといえます。
僕にとって演劇は身近な文化といえます。
※「文化」の3つめの意味は、今回考えたいこととは少し異なると感じたため省略します。もしかするといずれ考える必要が出てくるかもしれません。
ここで疑問に思ったのは…
「体の近くにあっても、ある固有の活動と深い関係にないときは?」
「体の近くになくても、ある固有の活動と深い関係にあるときは?」
これらは「身近な文化」といえるのでしょうか。
1‐1.身近な文化といえるもの
僕は俳優なので、身体的に演劇の場に近く関係も深い。
これは両方の意味を満たしています。
僕は日常的に音楽を聞き、映画を観て、小説を読むことが好きです。
体の近くに映画や音楽を再生できる携帯があって、
手に取れる本があるため、身近だといえそうです。
しかし、それらに詳しかったり制作したりする深い関係ではありません。
僕の地元は新潟県柏崎市で、叔父のいた高柳町には夏祭りがあります。「狐の夜祭」という、狐のお面をつけて練り歩く祭りです。
子どもの頃からずっとその光景を見て経験している深い関係といえます。
しかし、僕はすでに関東に引っ越しているので体の近くにはありません。
さらに特別な場合を考えてみると、
狐の夜祭など固有の風習がある地域に新しく引っ越した方の場合、「体の近くにありつつも深い関係ではない」が成立しますが、その土地の身近な文化であることには違いないありません。
人によって、身近な文化のなかにありつつもその文化に入らないケースがありそうです。
僕にとって身近な演劇が、隣の人にとってそうではない。
地域にとって身近な風習が、隣町にとってそうではない。
社会にとって身近な文化が、個人にとってそうではない。
主語によって、またはどの視点に立つかによって、
「身近な文化」と言えるかどうかが変わりそうです。
こうなると、
「地域に開く演劇」が「身近な文化」への手がかりになるかどうかは、主語によって捉える観点が変わると考えました。
今回の検証・検討を進めるために、
文化に対して距離や関係を自在に変えられる「人」を主語に置きます。
固有の文化や精神的活動の中身は、僕の活動によっては変えられないためです。
「身近な文化」の意味を参照しながら、距離と関係を軸に4分割します。
東京生まれ東京在住、
表現活動になじみのないAさんに登場していただきます。
Aさんの体の遠くにあり浅い関係にある文化、
例えばイギリスのチーズ転がし祭りや青森のねぶた祭りといった固有の文化、普段から絵や音楽や映画や演劇を鑑賞しないAさんにとって、
それらは「身近な文化」とは言えなそうです。
逆にそれ以外の部分に当てはまる文化であれば、
距離や関係を問わずAさんの「身近な文化」と言えるのではないか。
だとすると演劇を身近な文化にするためには…
と言えます。
活動の「方向性」「場所性」「専門性」と言葉を言い換えて考えてみます。
1‐2.「方向性」「場所性」「専門性」
先ほどの分割図にこれらの言葉を当てはめてみます。
「方向性」について…
主語となる「人」は、
1.ある文化の近くにいる人
2.ある文化の遠くにいる人
3.ある文化と関係が深い人
4.ある文化と関係が浅い人
計4パターンいることになります。
それぞれの人々をターゲットとする演劇活動ができれば、
それぞれの人たちにとっての身近な文化になり得そうです。
「場所性」について…
ある文化と物理的に近くにいる人と遠くにいる人は、
場所によって文化との距離感が異なるターゲットです。
1.近くにいる人に届けるオフライン活動
2.遠くにいる人に届けるオンライン活動
それぞれの距離感に合わせた演劇活動ができれば、
それぞれの人たちにとって身近な文化になり得そうです。
「専門性」について…
ある文化と関係が深い人と浅い人は、
経験によって文化との関係が異なるターゲットです。
3.関係が深い人にみあう専門性の高い活動
4.関係が浅い人にみあう専門性の低い活動
それぞれの経験値に合わせた演劇活動ができれば、
それぞれの人たちにとって身近な文化になり得そうです。
表を更新してみます。
理想論ですがそれぞれの場合をふまえた演劇活動ができれば、場所や経験を問わず「演劇を身近な文化にする」ことができそうです。
ある文化が体の遠くにあり浅い関係にある人にたいしては、他のいずれかのパターンに少しずつ促すイメージです。
1章のまとめと疑問
「身近な文化」を言葉の意味から考え、3つの観点を設けました。
ここでまた、疑問に思ったことがあります。
演劇と浅い関係にある人たちにこそ、専門性の高い体験が必要ではないか。
演劇と遠い距離にある人たちにこそ、場所性の近い体験が必要ではないか。
つまり劇場で演劇を体験することこそ、
「演劇を身近な文化にする」ために必要ではないか。
演劇が身近でない人たちに劇場で観てもらうのが、
一番の近道だと感じます。
しかし身近でない人たちのなかには、
「劇場までわざわざ足を運ばなければいけない」
「チケットが高い」
「自分には敷居が高くて体験しにくい」
「きっかけがあれば観に行くけど、それがない」
「そもそも興味がないから時間を使わない」
などさまざまな事情や気持ちがあると感じています。
すでに演劇が身近な文化な人は「劇場での演劇」があるのですが、それ以外の3パターンに含まれる方々に向けた演劇があっても良いはず。
それが「地域に開く演劇」です。
2.「地域に開く演劇」の概要
「地域に開く演劇」について、
劇場以外で演劇的なやりとりのある空間をつくることと書いていました。
それは演劇になじみのない方々に向けて活動を公開し、
開いたコミュニティに入ってもらい共同を体験することとも書きました。
諸々整理すると以下のようなものです。
※今後分かりやすく説明するために、
劇場で舞台表現をする演劇を「劇場に閉じた演劇」としてみます。
「地域に開く演劇」のターゲットは以下の3パターンに含まれる方々です。
地域に開く演劇はオガワが直接地域に赴いて活動することが前提です。
そのためオンラインでの活動が特に必要なのは、
「身近でない文化」と感じる方々のみになります。
「劇場までわざわざ足を運ばなければいけない」
→劇場以外の地域の空間で行い、足を運びやすくする。
「きっかけがあれば観に行くけど、それがない」
「そもそも興味がないから時間を使わない」
→身近なきっかけを活用して興味をもってもらいやすくする。
「チケットが高い」
「自分には敷居が高くて体験しにくい」
→体験の場とコミュニティを両方つくり、誰でも共同しやすくする。
という狙いがあります。
一つずつ書いていきます。
2‐1.劇場以外の地域の空間
劇場は日本各地にありますが、都市部に集中しているイメージです。地方に行くとそれぞれ芸術劇場があったり、市民ホール・会館などが劇場の役割を担っている気がします。
このあたりはまだ不勉強ですが、地方に行けば行くほど地域に密着した劇場運営をされている印象です。
最近浸透しつつある「シアターカフェ」も組み込まれていたりします。
いかに地域の方々に愛され利用される場所になるかが、
劇場運営の重要な部分だと考えています。
しかし、今から劇場がない地域に建てて、演劇を観てもらおうとすることはお金と時間がとてもかかってしまいます。
演劇を観てもらえたとしても、劇場が地域の劇団や住民から愛され、継続的に足を運ばれる場所になるためにはたくさんの時間と工夫が必要です。
演劇がそもそも身近な文化である人たちだけが劇場を訪れることになると、都市部の状況と同じになってしまいます。
それならば、
すでに地域の方々から愛されている場所と共同して、
演劇になじみのない方へ向けた演劇活動を行う方が良いと考えています。
地域の場所がきっかけとなって、足を運びやすくなるはずです。
以上の2つの企画はどちらも経堂アトリエという場所で開催しました。
制作側は、地域の場所や人とのつながりをもつことが大切で、その地域のことをある程度体感している必要があると感じました。
実際に足を運んで、滞在し、演劇のヒントになるきっかけを探ります。
2‐2.そこにある身近なきっかけの活用
その人・その場所ならではのことがらがあります。
地域ごとの住民の気質や文化、土地の風景など、
そこにしかないものを活動に盛り込み、興味をもってもらうきっかけをつくります。
世田谷区の経堂で行った地域密着型展示会「人間賛歌」は、まさに経堂の雰囲気や人々の気質があったからこその企画になりました。
初めて経堂に訪れてからご縁がつながり、1年間通うようになりました。
経堂の街には開かれたようにすっきりした雰囲気があると感じました。
程よい距離を保ちながら、誰でも迎え入れるような人の気質も感じました。
それをふまえて、
「人や街との関係性を深める」というテーマで企画を行いました。
のちのち地域の方にお話を伺うと、納得したように「入ってきやすい分、出ていきやすい街でもある」と仰っていました。
「人間賛歌」にご参加くださった地域の方の言葉が印象深く残っています。
「地域のコミュニティに興味はあるものの接点がなかった」とのこと。
もともと根づいている人のコミュニティと新しくやってきた人との間に、少しだけみぞがあるかもしれないとも思えました。
新しくやってきた人はいかに人や街と接点を持ち、関係性を深めるのか。
経堂アトリエさんという場所や、地域のお店の方々と共同できたことで、参加された地域の方が接点を少しでも増やすことができたら良いなと感じました。
「人間賛歌」では地域の掲示板にフライヤーを貼って、
地域の方々の目にふれるような宣伝を行いました。
実際にフライヤーを見ていらした方が数名いて、
身近なきっかけをもとに体験の場やコミュニティに参加してもらえた一例だと思います。
2‐3.体験の場とコミュニティをつくる
「劇場に閉じた演劇」では、場とコミュニティがどちらも整っているため成立していると考えます。
劇場という場がないと利用者や観客といったコミュニティは機能せず、演劇コミュニティがないと劇場は機能しない。
実感としてどちらもあることが大切だと感じます。
「地域に開く演劇」の場合、
劇場→地域のお店や公民館
演劇コミュニティ→地域のコミュニティ
となります。
地域のお店や公民館にはすでにコミュニティが存在しているため、体験の場をつくってコミュニティの方々を巻き込むイメージです。
それらは「劇場に閉じた演劇」よりも安価に敷居を低く行えると感じます。
どうして安価に敷居を低く行えるかというと、
劇場費や舞台美術などの大道具にかかる経費がかからなくなり、結果的にチケット代が安くすむためです。
また行き慣れた場所で行われるため、興味があればふらっと覗きに来れる状況になります。
さらに、「演劇」の言葉からイメージされる敷居の高さを下げるために、体験してもらう内容を工夫します。
2‐4.ドラマチックな瞬間に気づき、体験してもらう
「劇場で閉じた演劇」には要素がいくつもあると思います。人それぞれの言葉で表されたり、視点の違いがあると思いますが、僕が大切にしたい要素は”やり取り”であり、僕にとっての演劇はこういうものです。
これを「暮らしのなかでつながるドラマ」と評して活動してきました。
日常のなかで、誰もが演劇的でドラマチックな瞬間を体験できれば、
それはもう「演劇」であり、言葉から感じるハードルは低くなると考えています。
やり取りについてもう少し書きます。
「劇場に閉じた演劇」では大きく二つのやり取りがあると考えます。
舞台上でのやり取り、舞台上と観客席とのやり取りです。
言葉によるコミュニケーションだけでなく、非言語によるエモーショナルなやり取りも含みます。
これは日常生活のなかでも誰もが行える”やり取り”だと感じます。
人と人、人と物、人と風景などさまざまなシーンで起きます。
「あれ、なんかドラマチックだな~」と思う瞬間です。
しかし、その瞬間に気づかない限り、体験したと実感できません。
どのように”やり取り”のある空間をつくり、感性を育んでもらうか。
活動のなかに”やり取り”が多く生まれる工夫ができたら良いです。
現在の活動内容はこんな感じです。
※現在は演劇が身近な文化でない人に向けた「オンラインで行う専門性の低い活動」は「わかば本読み会」のみになります。今後はラジオ・動画配信でそれらの人にアプローチすることを考えています。
さまざまな表現分野の方とコラボをする体験の場と、
さまざまな文化的背景をもつ人が集まるコミュニティをつくることで、
”やり取り”を多く発生させ、日常のなかでドラマチックな瞬間を生まれやすくする。
日常でそういった瞬間を体験することと、劇場で演劇を体感することは質感が同じだと思います。
日常生活のなかのやり取りからさまざまな気づきを得て、豊かになる。
そんな演劇が「地域に開く演劇」です。
※「感性を育む」についてもう少し書きます。
『地域演劇教育論 ラボ教育センターのテーマ活動』福田三津夫(晩成書房)のなかに宮沢賢治の身体についてふれられています。
以下、引用します。
宮沢賢治の作品は、その身体の感性に支えられて生まれたのではないかと思えました。さまざまなものにアンテナを開き、なにかを感じ取ることができる状態が「感性が育まれた」状態だと言えそうです。
※大きく影響を受けている演劇人はドイツの劇作家ベルトルト・ブレヒト、日本の演劇ユニットPortB主宰の高山明さん、青年団主宰の平田オリザさんです。特にブレヒトがやろうとしていた「教育劇」に共感しています。
個人的な解釈ですが、こんなイメージです。
2人の俳優が舞台上で台本を読むとします。
観客席はなく、空間には俳優が2人だけです。
片方が話し手を演じるとき、もう片方は聞き手(観客)となります。
話し手(俳優)⇔聞き手(観客)の役割を行き来して、物語を体験します。
そのなかで役について、俳優自身について物語から気づきを得て成長する演劇が「教育劇」と解釈しています。
ご興味がありましたらぜひ調べてみてください!
2章のまとめ
「地域に開く演劇」とは何かをまとめました。
3章では「創作広場をつくろう」が、
さまざまな文化的背景をもつ方々が共同する開いたコミュニティをつくり、
演劇的なやり取りを発生させ、
参加者の感性を育むものとなっていたか検証します。
3.開いたコミュニティをつくれたか
いよいよ本題です。
長くなりましたがもう半分です…!
開いたコミュニティをつくれたかどうか、評価の視点を決めます。
以前、創作広場が開いたコミュニティとしてこういう集まりであったら良いなというグラウンドルールを定めていました。
このグラウンドルールからいくつか抜き出して、視点を定めます。
以上の視点です。
他のルールは創作広場が継続したときの運営に関することなので、今回の検証では省きます。
これに「参加型・質的評価手法MSC」というものを組み合わせて、開いたコミュニティをつくれたかどうかを考えてみます。
つまり、創作広場のなかで起きたやり取りによって、参加者にどんな変化があったのか、どんな感性が育まれたのかを検証します。
この4つの視点で、創作広場の参加者の方々の感想を視ていきます。
感想はGoogleフォームで集め、6名の方にご協力いただけました。
以降は掲載許可をいただいている5名の方々のものを掲載します。
3‐1.”表現”という関心をもとにさまざまな人とつながれたか?
3.色んな人たちとつながれましたか?
たくさんつながった 3名
少しつながった 2名
4.つながった人たちとは”表現”という関心・話題をもとにつながれましたか?
とてもそう思う 1名
そう思う 3名
違う関心ごとや話題でつながれたと思う 1名
という集計結果になりました。
人とつながったという実感は大きいものの、
”表現”をもとにしたつながりかどうかはそれぞれ感じ方が異なるようです。
4つめの質問で、普段から表現に関わっているBさん、Cさん、Dさんの回答がそれぞれ異なったことが印象的でした。
3‐2.元々いるコミュニティの内外へと情報を届けられたか?
5.あなたが普段していることを、ちがう分野・業界の方に話せましたか?
とてもそう思う 2名
そう思う 1名
あまりそう思わない 2名
6.あなたが普段していないことを、ちがう分野・業界の方から聞けましたか?
とてもそう思う 2名
そう思う 2名
どちらとも言えない 1名
という集計結果になりました。
全体的にはお互いの情報を届けられているように考えられます。
しかし5つめの質問について、
スタッフ参加や終盤から参加の場合は、
話す時間やタイミングがそんなになかったのではないかと推測できます。
6つめの質問の「どちらとも言えない」も印象的です。
3‐3.各参加者を支援したくなったか?
7.つながった人たちを応援したいような気持ちになりましたか?
とてもそう思う 2名
そう思う 2名
その他(仲良くしたいとは思った) 1名
という集計結果になりました。
個人的に考えてみたい箇所は「仲良くしたい」と「応援したい」「支援したい」の感覚の違いです。
仲良くしたいは私的な関わり、
応援・支援は社会的な関わりに入るのかなと考えました。
創作広場のコミュニティの方向性にも関係する部分だと思います。
3‐4.どんな意識・行動の変化があったか?
8.参加する前と後で、あなたの心境・意識・行動などの変化はありましたか?
大きな変化があった 1名
変化があった 3名
どちらとも言えない 1名
9.具体的にどんなことですか?
Aさん
意外と心で感じたことを表現するって難しいというか、閉じ込めていることが多いことに気がつきました。 気づかないふりをすることも時には大事ですが、向き合う機会の大切さを改めて感じました。
Bさん
イベントから時間が経ってちょっと思い出せなくなっている。笑
参加前はかなり緊張&心配してたのを覚えてる。 経験を通して、もちろん変わってなくはないはずだけど、変化というよりはレベルアップのように感じてる。
Cさん
垣根を越えるとか、垣根はホントにあるのか、といった気持ちになった。 それは他分野の方でも同じ時間、同じ話題で話せたからだと感じる。 みんなで飯食って酒飲めばうまいし、仲良くなれる気がしました。
Dさん
活動を通して人と繋がったり、人と人が繋がってゆくのを見るのが好きなのだと改めて気づくきっかけになった。
Eさん
短い時間の参加でしたが、今後もこのような会があればフットワーク軽く参加して行きたいと思いました。人に興味を持って、1つ1つの出逢いを今後も大切にしたいです。
10.(スタッフのみ)参加している人たちの心境・意識・行動などが変化しているように見えましたか?
あまりそう思わない 1名
どちらとも言えない 1名
11.具体的にどんなことですか?
Bさん
変化してるようには見えなかったかな。 その人らしく楽しんでるように見えた!
Dさん
言葉、絵、身体と段階を踏んだので参加者の活動がより深まっていくように感じられた。一方で意識や行動はすぐに変わるものではないと思う。時間を経て後々WSでのことを思い出し、生活の中の小さな気づきになることがあるのかもしれないと思った。
創作広場に関わった時間の長さは違うものの、
それぞれに気づきや意識の再認識があったと思えました。
11こめの質問のDさんの回答が印象的です。
人によりますが、企画終了から数日~数週間経って感想をいただいています。その日々のなかで、創作広場で体感した時間がかみ砕かれて言語化されたのかもしれません。
気づきの内容を「自分自身のこと」「人との出会いやつながり」「分野の垣根」としてみます。
これらがそれぞれの日常生活にどの程度影響を及ぼすかは分かりません。
しかし、さまざまな文化的背景をもつ方々と出会い、ワークを共同したから得られた気づきだと言えそうです。
より良いデータを取るとしたら、イベント後の日常を定期的に振り返ってもらい、経過を知る必要があると思いました。
色んな文化的背景をもつ方々が集まり、
共同する時間をつくり、
瞬間を経てそれぞれが気づきを得られていた点では、
「開いたコミュニティ」はできていたと考えます。
その反面、
場を継続しないと一時的なコミュニティとなり消えてしまうと感じました。
継続した場とコミュニティをつくり、経過を知ることが大切だと思いました。
3章のまとめ
地域に開く演劇として制作する「開いたコミュニティ」ができていたか、
「創作広場をつくろう」の感想から検証しました。
4章では、
「地域に開く演劇」によって変化や気づきを得て、
日常への感性を育んだ人たちが、
「劇場に閉じた演劇」に興味をもち、
実際に演劇を体感したいと思えるのかを考えてみます。
4.身近な文化への手がかりになるか
1章から3章までを簡単にまとめてみます。
これに合わせて理想的な身近な文化分割図に更新します。
「地域に開く演劇」は「演劇が身近な文化と感じる人」以外の方々をターゲットに、その地域に赴き、活動をし、感性を育むものでした。
人々が育んだ感性で日常を過ごすことで、さまざまな気づきを得ます。
その気づきがきっかけとなり、表現に興味をもち、演劇を体験したいと思えたら、少しずつ身近な文化になっていくのではないかと感じました。
「地域に開く演劇」によって素地をつくり、「劇場に閉じた演劇」で高めるイメージです。
しかし、今のところ「地域に開く演劇」は地域ごとに根づいて、継続的に場とコミュニティをつくることができていません。
今後は、まず一つの地域に根づき、その地域で演劇を身近な文化にしていく必要があると感じました。
そして、オンラインで行う専門性の低い活動も始めることで、一番なじみのない層の方々に届ける必要もあると感じました。
さらに、「劇場で閉じた演劇」を体感してもらうために、各地にいるさまざまな劇団・ユニット・活動を知っておき、おすすめすることができれば、一連の演劇体験の流れをサポートできるはずです。
「はじめに」の問いに立ち戻ります。
問い
地域に開く演劇として制作する「開いたコミュニティ」は、
演劇を身近な文化にする手がかりとなるのか
答え
現状では一時的な手がかりになると言える。
地域に根づいた継続的な活動ができれば、
より良い手がかりとなるはずだ。
と答えられるのではないでしょうか。
これで検証・検討を終わります。
個人的に、「地域に開く演劇」は演劇を身近な文化にする手がかりになりながら、演劇コミュニティの問題を解決できる方法の一つになり得ると感じられました。
しかしどちらの目的を達成するにも、
まず一つの地域に密着することが大切だという答えに至りました。
おわりに
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
5年間の学びや気づきをひとまずまとめられたことにほっとしています。
気づいていないだけで、まだまだ穴だらけな論考かと思います。
地域に向けた演劇活動の先人たち。
子どもから大人までさまざまな対象に演劇教育を行う先人たち。
地域に愛される劇場やカフェを開き、経営する先人たち。
「文化」や「演劇」自体についても知らないことだらけだと思います。
学びにいくことが山ほどあります。
できる範囲で、本やインタビューを読んでお話を伺ったり、現地に赴いたりしたいです。
自分の活動も第1章が終了したような感覚です。
今年から第2章が始まります。
今後ともよろしくお願いいたします!
リンク集
令和3年度「演劇は社会の処方箋」やってみようプロジェクト PDF