はじめまして、円狐(まるこ)と申します②
前回、自己紹介の途中でいつの間にか「おかっぱかっぱのきゅうりちゃん アクリルキーホルダー」やLINEスタンプ宣伝になってる!? 騙された!? という声をあげた方もそうでない方も再び来ていただきありがとうございます。円狐(まるこ)です。
いきなりですが、遊びに来ていただた方の中にはデザイナー、イラストレーターを目指し刺激を受けるためにいろんなものを受信、参考にしている方もいると思います。
幼少期から絵の才能に恵まれ、学校でも優等生、なかでも美術はいつも評価されSNSでアップすればバズるほど、そのまま美大入学し、受賞作品は数しれず、メディアへも掲載、デザイン会社に就職し、数年後に独立、今は世界が舞台。
キラキラ輝く世界とは間逆のこんなおじさんでもデザイン業界で生きているんだ、明日も頑張ってみようかな、未経験だけれどもう一社ぐらい応募してみようかな。
少しでも読んだ方がホッとできる避暑地のような場所を提供できればと思い書き始めました(もはやしがみついてるだけ? しぶといな? うるさいわ! それ一回目に言うべきだろ! という声が飛んできましたね)。
当時トーキョー・イチ・チアン・ワルイと騒がれていた足立区。雪の降りしきる年明け早々の一月、僕は産まれました。父は理髪師、母はピアノ教師…。
これ、書き出したら長くなりますね。
(中略)
義務教育での美術でしかほぼ学んでいません。成績は、なんの自慢にもなりませんが全般的に1か2です。絵は好きでしたが得意ではなく、夏休みの宿題の絵は母に描いてもらい、父からは「下手な絵なんて描いてる暇があるのなら夕飯の支度を手伝え」と殴られ、描くことすらあまり好きではなくなっており(いま思い起こすと、この殴られたとき描いていたのは河童の絵でした…まさか現実世界で伏線回収!?)授業でも同級生の絵の巧さに嫉妬し、ほぼ真似して描いていました。なので絵どころかセンスゼロでした。ただ幼稚園児の頃に描いた「おとうさんのえ」は未だに僕の中で記憶に残る絵となっており、超えることはできません。
82.2.25と記載されているので円狐少年、当時4歳。画用紙の前に座り、クレヨンの青を取ると一筆書きでものの数秒で描いたようです。その話を母から聞いていたのでそう思っているのか、それとも実体験なのか曖昧ですが、僕はこの様子を自分の背後から見ていました(自分なのに自分の視点ではなく少し後ろの背後から)。不思議なことってあるものなんですね。(その絵は残っていないのですが、母がパッチワークで残したものを撮影したのが上の写真)この何にも縛られず、過去に見たものから影響を受けてもいない自由な線の動きは二度と描けないですね。
話はそれますが、どうしよう、またの機会にしますか。その不思議な体験をした1年前の3歳、これまた奇妙な死後の世界(?)を目の当たりにした円狐少年。
また円狐につままれそうになっている! 今後は死後の世界? どこに向かうの?このnoteとお嘆きのあなた。
そうですよね、では、また次回におあいしましょう。
円狐(まるこ)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?