死ねないことは惨めである
これは、あくまでも或る一メンヘラの雑感である。
希望など何一つ無くとも、自殺に失敗してしまった健康体を持つ人は、障害が遺るか否かなどは人それぞれだが、生き延びてしまうことになる。閉じ込め症候群にならないが障害年金と生活保護で生きられる程度の障害がのこることが、社会から何も求められなくて幸せだろうか。中途半端な後遺症は、ただただハンデにしかならない。無事だとただ迷惑をかけたことを責められるだけになる。
自殺にはタイミングや勢いのようなものが必要で、それらに恵まれなければ肉体を捨てることすらままならない。肉体が生きていれば、寝食をどうにかするために金を稼がなければならない。若い頃は親のすねをかじりながら学校に通えるかもしれないが、勉強はしないといけないし、金を稼げるように準備もしないといけない。肉体から生まれる苦しみを、埋め合わせて余りあるほどの楽しみが無ければ、ただただ苦しいだけである。
楽しみ無く、ただただ金を要するがゆえの義務に追われ続ける日々を終わらせることができないのは、ただただ苦しく、自殺の成功者やピンピンコロリに恵まれた人と比べれば惨めなものだ。