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逃したくないのはいつだって、特別な顔をしてない特別
朝、食パンをパンナイフで食べやすいサイズに切る。
一定のリズムを、まな板とパンとナイフが刻む。
自分が今より小さい頃、食パンはいつも母親がホームベーカリーで焼いたものを食べさせてもらっていた。
だからパンの味も、分厚い木のまな板やナイフもずっと同じ。
ずっと同じ、朝の音。
久しぶりにその音を聴いた時、なんともいえない心地よさを感じた。
なんだかとっても豊かな気持ちだ。
そう思いスマホに「パンを切る音」とメモを取った。
最近、よく働いている。
働いているの基準は曖昧だが、時間だけでなく、かなり頭の大部分をごっそりと持っていかれているように思う。
手を動かしていなくとも、気がつけば働いている。
楽しくやっているので嘆かわしくは全くないけれど、人間的な自分はその変化の急激さに戸惑っているみたいだ。
そんな中での一日オフ。
久しぶりに感じる何もない朝に、自分のZINEを何の気なしに手に取った。
ちゃんと通して読むのはいつぶりだっただろう。
懐かしい景色。懐かしい感動。
その久しさに迫られた時、少しだけ読むことが辛くなっている自分がいた。
世界を旅したその日々は、あまりにも昔のことになっていた。
寂しい。一年前の今日は、まだ出発すらしていなかったのに。
なんだかむずむずして、A4用紙の裏紙にシャーペンを走らせる。
考えるより先に、ペンは走っていく。
人は忘れる生き物で
それでも手放したくないと 思えるものを
なんとか 手元に収めようと
必死に 手のひらめ いっぱいに広げて
そうやって 時間を歩いていく
逃したくないのは いつだって
特別な顔を してない 特別
歩くこと。走ること。止まること。
その日その日を生き抜くために、ひとつ定めた方向へ走る。
でも時に、その道端に咲いている花の美しさにも立ち止まる。
走りながら立ち止まる、という矛盾を抱えていたい。
歩く方が疲れないかもしれない。
それでも走りたいし、止まりたい。
終わりのないその繰り返しに、自分は生きている。
そんな中途半端な、どっちつかずの自分。
図らずも等身大。
では花の美しさに抱いた感動を、これからまた走りだす自分にどう伝えようか。
そんな風に考えていると、ふとある文章を思い出した。
人間には二つの大切な自然がある。
日々の暮らしの中で関わる身近な自然。
そしてもうひとつはなかなか行くことのできない
遠い自然である。
が、遠い自然は、心の中で想うだけでもいい。
そこにあるというだけで、
何かを想像し、気持ちが豊かになってくる。
心の中で想像するだけで、豊かさを感じる自然。
それはきっと自然だけではなく、これまでに見てきた全ての景色だってそう。
日々なかなか味わい尽くすことができていなかった感動だって、その感動は手元から離れても、この世界にはある。
時にはそんな感動を掬い取るようにして、書き留めたり撮り貯めたりなんかする。そうすれば感動は、そこにもある。
見てきた景色は裏切らない。
これまでの全てが染み込んだ自分が、今ここにいる。
それを忘れない。
そして、そんな自分が立ち止まってきた花々の美しさを、信じてやまない。
自分の美しさを自慢げに語る花などないのだから。
いつもありがとう。