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日々に名を付ける

7ヶ月ほどの旅から日本に帰国して1ヶ月経った。
この日々を過ごす中で感じた手応えをことばに置き換える。

考えたから書けるのではなく、書いているから考えられる。
だからこうして書く。

あんまり大したことをしていないような気がするというのは、ある意味それだけでこの1ヶ月を表している感覚なのかもしれない。

何か一つ成し遂げたことがあるというよりかは、粒々とした何かが偶に目の前に流れてきて、気が向けば手に取ってみたりして、それがどう見えるのかを気ままに眺めていたような、なんとものんびりとした期間だった。

大学生としての生活が再開するまでに、まだ幾分かの猶予がある。
何をしてもいい、という自由時間に見つけた贅沢。
そしてそれを充実させなければいけないという使命感。
それに反しスロウな気分に身を委ねることへの罪悪感。
うごめく感情たちをいっしょくたに抱えている。

今すぐしたいこと。
できたらしてみたいこと。
しなければいけないこと。
しなくちゃいけなさそうなこと。

旅で自分とうまく向き合えるようになって帰ってきたと思ってたけど、それは都合のいい解釈だったみたい。
どこか成長しているのかもしれなかった自分に、無責任に期待していた。
今はまだ、いくつかの手の取り合い方を知っているだけで、常に手をつないでいるわけではない。そこを履き違えちゃいけないね。


時間の過ごし方。その過ごし方に名前が欲しかった。
名前があると安心できる。
名前がないと、その過去が空虚なものに感じてしまう。
そうして薄れていった過去を都合よく忘れていくことを止めない自分もいるような気がした。

何か名前のあることをしていたい。
何か名前のあるものに向かっていたい。
何か名前のあるものを掴んでいたい。

でも、
今していることに、
今のこの考え方に、
今のこの自分に、
後からでも名前を付けていくこと。
もしくは、そう試みること。

それは、書くことによってできるんだと気がついた。

振り返り、辿り、感じる。
感じ、なぞり、向き合う。
向き合い、撫でて、当てはめる。

そうして、その感情や思考に名前を付ける。
ナチュラルに、ていねいに。

そうして、集まっていく自分のことば。
そのことばたちが、名前のついていなかった過去を肯定する。
つまり、名前のついていない今も未来から肯定される。

そう考えることで、過ごせるようになる今がある。
名前がない、つまり現時点では意味を持たないような今でも、書くという行為を通じて、意味のあった過去に置き換わる。

だから、少しでもいいから書こうと思った。
今だからこそ、書こうと思った。

そんな今を過ごしている。





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