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コーヒーde共感

グアテマラ共和国のアンティグアという街に滞在している。
この街の名前を日本で聞くことがあるとしたらコーヒー豆の品種として、かもしれない。

これまでの自分にとってのコーヒーは勉強のお供、スイーツのお供、語らいのお供、といった立ち位置の飲み物。いや飲む物というよりカフェ滞在のために注文する物だった。
コーヒーは好きだが大好きと言えるほど詳しくもなかったし、味わう姿勢に真面目さがない時点でコーヒー好きと名乗るには程遠かったのではないかと振り返って思う。


そんな自分がコーヒーの世界的産地アンティグアで初めてコーヒーを口にするまで、到着してからそう時間はかからなかった。
元々その広さの割にカフェが多すぎる街であることは一つ理由に成り得たのかもしれない。カフェを視界に入れることなく街をぶらぶら散策することなど不可能に近い、アンティグアはそんな街だ。
ただ、日本人の方が経営するコーヒー店をこの街に足を降ろしてからほどなくして見つけていたからまずはここへ行ってみようと決めていた。

到着した翌日の夕方、入店して店内を眺め、いろいろお話を聴き、いざコーヒーを飲んでみようとおすすめを聞いた。一応コーヒーは好きであるということは伝えていたが「コーヒーが好き」という一節の持つ意味はあまりにも広いことをあまり考慮していなかったなと気が付く。

おすすめだという焙煎されて容器に管理されている豆を眺めてみる。香りを嗅いでみる。説明を聴いてから隣にあった他の豆の説明と見比べてみる。そっちも嗅いでみる。
鼻孔を通り抜けていくその香り、その感覚。鼻が、脳が、手放し終えないうちに味わおうとした。
それでも、そのかろうじて感じた違いを言い表せそうになかった。いくら時間があっても難しい。そう感じた。違いがわかることしかわからなかった。

目の前でそのおすすめを淹れてもらった。素人目でもそれが丁寧であることはわかった。

目の前にカタッと置かれたカップを手に取り、白く立ち上る湯気を鼻に纏わせるようにして香りを味わう。いい香り、なのだと思う。

自分で自分を急かすようにして、コーヒーを口に含む。

美味しい、んだと思った。でもすぐにそれが口を突くようにしては声にならない。どうして美味しいって感じているんだろう。
掴み切れてないその味を、研ぎ澄ませているつもりの舌で何度も確かめる。これまでの人生で飲んできたコーヒーを脳裏に浮かべながら比べる。

「どう?」

「酸っぱい、、、ように感じます、、。」

「おーー、美味しい?」

「美味しい、、、とは本当に思うんですけど、、。」


酸味はある気がする。でもこれはレモンみたいに刺してくる酸っぱさじゃなくて。苦みは薄い気がする。でも全くないとも言えなくて。

そうしている間にコーヒーは冷め始めていく。コーヒーは温度によっても味を変えるがそれを学んだのはその後のことで、この時はもう自分の感覚も信じられなくなっていくようだった。

「これってどんな味、、、って呼んだらいいんですか?」

思わず聴いてしまう。小説のネタバレを読む前に聴いてしまうような若干の罪悪感と共に。

「あっさりしてるけど、中身はあるよね。ボディがある、舌に乗る感じ。あとグアテマラのコーヒーはカカオとかナッツ感があることが多いんだけど、、そんな感じかな。」


そういういい方もできるのかとなんか腑に落ちた。でもそれって日本語が優秀だからなんじゃ、、、?そう感じて今度は、どうやってグアテマラのコーヒー農家さんをはじめ世界中のコーヒー界隈の方々とは共通認識を持つのかと聴いてみたところ、日本語で中身があるということを、英語ではfeel the bodyとか、スペイン語でもボディがどうのこうのという表現をするらしい。

さらにフレーバーホイールというものを教わった。苦味、酸味、甘味などを一言で言い表すために、カカオとピーチとベリーの風味の存在する味、などと表現することがあるらしい。この方法ならコーヒーの味に携わる方々はわざわざ毎度飲む必要に駆られることなくコーヒーの味を共有できる。

目から鱗ってこういうことなんだと、その時の興奮を今思う。

「今年のは特に爽やか。それに焙煎や抽出の方法でも味って変わるから一概には言えないけどね。でもグアテマラの大地と雨と風の味です。」

なんて素敵なんだろうと思いながら、残りの一口を大事に口に運んだ。これがグアテマラの大地の恵みかと思うとまた一つ味わいが違うような気がした。
なんだかすごくうずうずした。コーヒーの世界に片足を突っ込んだ瞬間だったと思う。


堪らずお店に置かれていたコーヒーに関する書籍を手に取ってみた。ページをめくる手は止まらず3冊を一気に読み切った。特にコーヒー界隈では超有名であるという川島良彰さんの著した「私はコーヒーで世界を変えることにした。」という本は痺れた。日本に帰ったら買おうと思う。


次に訪れる予定の街も、その次の街もコーヒーの生産地として有名であることをここに来て知った。それに、この旅だけではない。俺は残りの人生であと何杯のコーヒーを口にすることになるのだろう。
せっかく飲むのなら、その一杯を、その味を目いっぱいに楽しめるくらいにはコーヒーのことを知っていたいと思う。そしてあわよくばその味を上手く表現できたらいいな。せめて自分が納得できるくらいには。

自分の感覚をなんと言い表せばいいのか、もっといえばどう自分で認識すればいいのかわからない。もどかしい。今の旅を通して料理なんかでもそう感じることが多い。その度にどうにかしてその味や風味みたいなものを舌で覚えて、忘れないうちに書き留めたりもしてきた。ぴりっとしただとか、ねっとりしただとか、オノマトペをいくつか持ち合わせていようがそれだけでは限界を感じることも日常茶飯事だ。コーヒーもその類だろうと思う。でもきっともっと一般的で、もっと繊細な。

そしてこうして文章を綴っていて、そのもどかしさを感じる瞬間は味覚に留まらないことを思い出した。感覚を言葉で表現するということ。五感全てにおいて当てはまることだし、きっと心で感じる確証はないような感情にだってそう。湧き上がったその高鳴りをどうにかして誰かと、今や未来の自分自身と共有したいんだと、表現はされ続けていくものだろうし、そうであってほしい。
その全てが呼び名を得ることができなくても、せめて伝えたいことが少しでも伝えたいように伝えられるのなら。
文字通り、感動を共有することができるのなら。

3日で終えるはずだったアンティグア滞在も今日で4日目。
この文章も、この街で4軒目のカフェから綴っている。もちろんバリスタさんおすすめの一杯を味わい終えてから。
次の街へ移動するには、まだまだ早いような気がしてならない。






読んでくださった方ありがとうございます。
どんなに美味しかったコーヒーも、どんなに寒かった北風も、どんなに辛かった日々でさえ、その感覚はどんどん薄れてしまうものではないかと思います。
だからせめてその瞬間を少し思い出せたらいいなと言葉にしてみることも、その瞬間を楽しみ切った後で忘れたくないなと自分は感じています。
そうして綴ったものなんかをこうしてnoteで、もしも分かち合えたんだとしたら、とんでもなく嬉しいです。

よかったらまた読んでください。
¡Muchas gracias¡

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