オリジナリティは考えて作るもんではない。僕の場合は。
オリジナルなもの、クレイジーなもの、他にはないものを作ろうとして、うんうん考えていた時期が長い。
だけど、そうやってうんうん唸って捻り出したアイディアは、実際のところ大して新規でも独自でもなかったりする。人に話してみても、手応えがない。
「どこかにありそうだね。」
「ちょっとピンと来ないな。」
いやいや、本当に新規なアイディアは、はじめはゴミに見えるんだ。
と嘯いてみても、他ならぬ自分が感じている違和感は誤魔化せない。
その通りなんだ、どこかにありそうで、ピンと来ないんだ。
おっしゃる通り。でもどうしたらいい?
性格というか、タイプの問題かなとも思うけど、僕はどうしても「理」が先行して、ルールやロジックを求めて、そこから演繹的に思考しようとする。
そういう思考法が必ずしも悪いわけではないと思うけれど、ロジックというのは再現可能ということで、他にはないアイディアを捻り出すためにはあまり向いていない方法かもしれない。
で、最近は「すごく普通で当たり前のこと」を話すようになった。
尊敬する先輩経営者からのアドバイスがきっかけだったのだけど、結果として大きく手応えが変わるようになった。自分としては、至極まっとうで普通なことを言っているのに、これまでとはリアクションが変わってきた。
「それは面白いですね。」
「そういう切り口は新しいね!」
なるほど。そういうものですよね。
作り込もうとしたものより、自分たちにとって当たり前すぎるものの中に、他の人にとっては本当に新しくオリジナルなものがある。
この教訓自体は、よく聞く話。
だけど、ちゃんと実感をもって実践することは意外と難しいように思う。僕の場合は、自信の無さ、そこから来る余計な理論武装、それゆえ弱みも含めて人に相談できない、といった点が邪魔をしていたように思う。
今は、そういった邪魔する要素があまりない。以前よりずっと少なくなった。
それがどうしてなのかは、色々な要因があって自分自身でも「これ」という理由ははっきりとは分からない。
はっきりしているのは、今の方が気分が良い。ということ。
今やろうとしている事業アイディアが「正解」なのかどうかは、やってみなけりゃ分からない。もちろん、これで行けると思っているからやるのだけれど、どんな素晴らしいプランにも「正解」はない。
だから余計なアクセサリーは取っ払って、正味な自分で勝負するしかない。
正味な自分にだけ、オリジナリティはある。
ということに、本当に今さら気づいたよ、というお話でした。