福田一史

福田一史

最近の記事

自律性、この厄介で不可欠なもの

これからの時代の人材育成は「自律性」が不可欠なテーマになる。と僕は思ってます。でも、この「自律性」、多くの企業にとってはそんなに飲みやすいお薬ではないとも思う。 よく「自律した社員になってほしい」という経営者や管理職の方がいます。 でも「本当に自律しちゃって良いんですか?」というのは実は疑問だったりもする。正直、経営者や上司にとって都合の良い「自律性」を期待しているように見えることも少なくない。 つまり、ある部分は自分で考え自分で行動してもらいたい、でも別の部分では余計

    • 消える研修受講者

      研修の講師をしていると、受講者がすっと消えることがある。 もちろん物理的にじゃないですよ。比喩的な意味で。 どう表現したらいいのか。 まるで「受講者という集団」の中に溶け消えてしまうというか、まるで「テレビの向こう側」にいるかのように、その場にいないかのように振る舞うというか。 その「消え方」は本当に見事で、すーっと存在感を消す。集団の向こう側に行ってしまう。 それを、なんとかこっち側に、人間としてその場でやりとりする相手として、「あなたと私」の関係にする。×何十人か

      • 「これからの新入社員研修」を考える前に、今年の新入社員のお話を

        今年4月に新入社員を迎えた企業が、今ものすごく苦労している。 先日研修を担当した企業では、4月から全社で完全リモートワーク。新入社員ももちろん例外ではなく、入社以来自宅で研修を受けている状態とのことだった。人事担当の方も、新入社員の様子を気にかけているものの、自身の仕事も急激な変化の真っ只中で、日々どうしたらいいか色々と模索しているという話でした。 ただ、驚いたのは当の新入社員たちの声。 急なリモートワークになって、さぞや大変だろうと思っていたら、本人たちの認識はそうでも

        • これからの人材育成がどうなるかという話の序文

          企業研修の仕事をしている。 「研修」というのは、わざわざ解説しなくても良いかもしれないが、社員が集まって、講師が登壇して、グループワークをしたりなんだりする、あの「研修」のことです。 僕の(というか僕が経営している会社の)仕事は、企業から社員研修を請け負って提供すること。誰か講師を派遣することもあるし、僕自身が講師として登壇することもある。ごくごく小さい会社なんで、僕自身が講師をやるケースも多い。 当然ながら、このコロナ禍でとんでもなく影響を被っていて、今年の研修案件は

          「審判」の視座

          躰道(たいどう)という武道をやっていて、試合の審判をちょくちょくする。 躰道ってなに?というのは今日の本筋ではないので、割愛。とんでもなくざっくり言うと、空手発祥の日本の武道で、すごくたくさん動きます。(関係各位から怒られそう…) 審判をやるようになって、試合を見る目が変わったように思う。 選手としてしか試合に出ていなかった時は、見えなかったもの・気づかなかったものが、見えるようになった。 なんでこの技を取ってくれないんだ。 今、いい技が入ったのに! いやいや、なん

          「審判」の視座

          「ありがとう」と「ごめんなさい」

          二歳の娘がいる。 昨日のこと。朝食でホットミルクを出したら、彼女はコップで遊んでいて盛大にこぼしてしまった。 ただでさえ忙しい朝のこと。 僕もつい気が立って、結構な剣幕で怒ってしまった。 「こらっ、そんな風に遊んでるからでしょ!」 急いでタオルで拭き取る。 大好きなミルクをこぼしてしょげていた娘は、さらに怒られて、泣きそうな顔をしている。 ふむ、、、まぁ、そんなに怒るほどのことでもなかったかな。本人も悲しいし、自覚はしているようだし。と思い直し、娘の座っている椅子を

          「ありがとう」と「ごめんなさい」

          人材研修は「フィットネス」なんです。

          - どんなお仕事をされてるんですか? パーソナルジムと企業研修の会社を経営してます。 - ずい分と違った領域の事業ですね? いえいえ、そんなことありませんよ。 なぜって?人材研修は「フィットネス」だからです。 いいですか? そもそも「フィットネス(fitness)」とは「fitしていること=適していること」という意味なんです。なにに適しているか?といえば、「環境に適している」ということ。 「fittness」は生物学用語でもあって、「適応度=環境に適応して生存・

          人材研修は「フィットネス」なんです。

          自分を好きなまま、ちゃんと後悔しよう。

          後悔はしない。反省はするけど。 というスタンスを取り続けて来た。でも、ちょっとそれは違うかもしれない。 後悔してもなにも解決しないでしょ。 という正論をエクスキューズにして、結局きちんと自分の失敗やダメさと向き合ってこなかっただけなのかもしれないと感じるようになった。 本当に後悔はないか? あれは失敗だった。 本当はあんな風にしたくなかった。 出来ることならやり直したい。 そう思うことは、本当にないか? ない。 とこれまでは人に言ってきたし、自分でもそう思っていた

          自分を好きなまま、ちゃんと後悔しよう。

          オリジナリティは考えて作るもんではない。僕の場合は。

          オリジナルなもの、クレイジーなもの、他にはないものを作ろうとして、うんうん考えていた時期が長い。 だけど、そうやってうんうん唸って捻り出したアイディアは、実際のところ大して新規でも独自でもなかったりする。人に話してみても、手応えがない。 「どこかにありそうだね。」 「ちょっとピンと来ないな。」 いやいや、本当に新規なアイディアは、はじめはゴミに見えるんだ。 と嘯いてみても、他ならぬ自分が感じている違和感は誤魔化せない。 その通りなんだ、どこかにありそうで、ピン

          オリジナリティは考えて作るもんではない。僕の場合は。

          note、はじめました。

          最近、SNS復活もして、アウトプットをしていかないとな、と考えているところ。noteは、身の回りではまだ使ってる人が少なく、面白いのではじめてみました。 ブログって気張ってはじめても、だいたい一年かそこらで辞めてしまうのがこれまでの定石。noteは、もっと気楽にやれるかなぁ、との期待もあります。 方針、というほどのことはないですが、自分ルールとしては以下のように考えてます。 1. 基本はワンテーマ 2. 考えたこと感じたことノート 3. 気軽に、練り過ぎず、頑張り過ぎず

          note、はじめました。