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ぼくにとってのSNSとは

 ボーっと考えていたことの明文化。たまに強い言葉があるのでお気をつけください。

 イーロンさんが暴走しだしたタイミングで、ぼくはiPhoneからTwitterとInstagramそしてfacebookアプリを削除した。本来だったら5月の展示会が終わったタイミングでいままで続けていたいろいろなものを休憩しようと考えていて、そのうちのひとつがSNS。当初から考えていた期間は2ヶ月ほど。予定よりも遅れたが、誰にも言わずそっとSNSの更新をストップした。体調不良のタイミングと重なったせいか、余計なご心配をおかけしまして申し訳ない。無言実行が多い性格なのでご勘弁を。そして直接的に、間接的にご連絡くださいました皆々様、ほんとに感謝しております。気にかけてくださってありがとうございます。

 さて、ではあれだけ毎日更新していたSNSを休憩してなにをしているのかというと、FINAL FANTASY 16を2度クリア。一度目はNORMALモード、二度目はHARDモードで。FINAL FANTASY 7 REMAKEも二度目のクリアを目指している。もちろんHARDモードで。その他は邦画を中心に毎日2本ほど映画を観たり。大好きな料理を作って、大好きなものを食べ、初めてやってみることもいくつかある。なんなら一日一食の食事はうどんばかり食べてるから割れた腹筋が出てきた。写真を撮る以外の大好きなことをたくさんやっている。(ただの出不精)

 そんなことをやりつつ、ぼくにとってSNSを運用する意味や目的とはなんだろうと心の何処かでずっと考えていた。性格上無意味に続けたくないのでいろいろ目的を考えがちだけれども、とりあえず今まで休憩して思ったことは、

『SNSをやらなくても、まったく困らない。』

 ということ。

 そう、全然困らないどころか世界が静かになった。むしろSNSをやらない方があれこれ時間が出来てとてもいい。とても快適。ストレスフリー。

ではなんのために、ぼくはSNSをやっていたんだろう。いくつか考えてみた。

「仕事につなげるため」
 仕事アカウントとして仕事に関することを伝えているならまだしも、基本的には納得いかない物事へのツッコミが多いぼくのアカウント。仕事につなげようと思ってやっていないし、むしろ仕事につなげたいならもっと真面目に向き合ってやった方がいい。

「承認欲求が満たされるから」
 これもまったくない。ぼくの承認欲求を満たしてくれるのはこの世で数人。それ以外の不特定多数のいいねや褒め言葉では嬉しさや感謝は感じるものの、承認欲求は満たされない。ぼく自身の性格としてひとを信頼するまでのハードルが極端に高い。そのハードルをクリアしたひとからの言葉しか心で受け取れない。

「楽しくて楽しくて仕方がない?」
 むかしはそんな時もあったけど、そんな時期はもう過ぎた。ほんとに仲のいいひとの多くはSNS以外のリアルでも繋がっているからいまはそれでもいい。

「ファン商売をしているから」
 していない。

 ちなみにInstagramに限っていいうと、22年5月から23年5月までの1年間は毎日アップすると決めていた。その目的も達成したので、いまのところInstagramを更新する目的がない。

 考えたところで目的なんてない。ではぼくにとってSNSをやるメリットはなんなんだろうか。

 ・小さな世界の情報を入手出来る。
 例えばまだ名もなき写真家たちやアーティストたちの情報とか、ゲームや映画・料理など趣味の情報。
 ※ただSNSをやらなくても、こんなのあるよって教えてくれたりすることもあるし、情報に新鮮さを求めなければいつかは知り得る。

 ・仲がいいみんなの現況を知れる。
 みんながんばってるなーなんて思うと刺激的。ついつい応援したくなってしまう。

 ・天才に出会える。
 到底ぼくでは思いもつかないような表現方法が溢れている。ただのデジタルな言葉なのに重さを感じたり、言葉が舞っていたり、聞いたこともないような包み方をしていたり。SNSにはリアルよりも天才と出会える。

 でも上記のようなことは、SNSに頼らなくてもいい。ぼく自身がSNSをやる理由にはならない。

 では逆にSNSをやらないメリットはなんだろうか。

 ・純粋に自分が思いたいだけ考えたいだけの思考の時間が出来る。
 思考の源泉が自分の脳内に限られるので、自分が考えたい物事だけに集中できる。

 ・バカで無意味でどうでもいいネガティブな情報に引きずられたりしない。
 ・複数解釈出来るような言葉で攻撃しているゴミのようなものを見なくていい。
 ネガティブな情報が視界にさえ入ってこないから悩みもしないし、イライラもしないし、心配することもないし、時間の無駄がない。ひとは自らトラウマを自ら見に行くくらいネガティブに引き寄せられやすい。そしてSNSには一瞬で流れて行くネガティブな情報はありふれている。そこに引っかかると無視は出来ないのでストレスを感じてしまう。赤の他人ならまだしも、知り合いのネガティブならなおさら距離が近いので心配になってしまう。そんなネガティブな情報が流れているのがSNSだけど、そんな情報をほんの一瞬でも目に入れずに済む。

 ・SNSは見るだけでいい。
 見たい情報があるならピンポイントで見に行けばいいだけ。見たと言ってもそれに対して特別リアクションをする必要もなければ、なにか返信のコメントを考える必要もないし、誰にもなんの気を使う必要がない。

 まとめてみると現状のぼくにとってはSNSをやらないメリットの方が多いと思う。とはいえ、いままでにもSNSをきっかけに出会ってなかよくなったひともいれば、最初はリアルで出会ってSNSをきっかけになかよくなったひとがいるのも事実。SNSをやることは悪いことばかりではない。

 そもそもぼくは内向的な性格なので、SNSには向いていない。ずっと引きこもっていたいし、人と関わるのはめんどくさいし、群れたくないし。遊ぶときも多くてなかよし2〜3人くらいがちょうどいい。どうせ同じ時間を過ごすなら心を任せ、委ねられるひとと過ごしたい。

 Tweetだって基本的にはツッコミしか出ない。おかしいと思ったことには脊髄で反応してしまう。ほっとけばいいのにモヤモヤ感じるものを吐き出したくなってしまう。そんなことしたって人は変わらないし、わざわざ自分を変えることが出来るほどそんなやつのことは好きでもない。それなら物理的に距離感を変えるしかない。となると、そのツッコミに消費するカロリーとか、そこに使う脳の容量とか、そのことについて考えたりテキストを打ち込んだり、心のリカバリに費やす時間がもったいない。

 目の前のひとりにだって自分の気持ちをちゃんと伝えることが出来ないのに、大義もなく生きてなにをそんなに伝えたいことがあるのか。SNSでなにかを伝えようとしたところで、命掛けて伝えたいことでもあるのか。ぼくにはそんなものはない。

 そう考えるとほんとにたいしたことない。自分の考えなんてちっぽけなもんだなと思う。

 可能性を秘めていると思っていた広い世界はとても狭く、いまのぼくにとっては居心地の悪い世界だなということがわかった。心から生きられる世界はもっともっと狭い。だからこそSNSをやらない今の世界の方が、ひょっとしたらとても広いし、とても深いかもしれない。そして正直だ。

 残された時間はきっとそんなに多くないから大切に生きていきたい。命を割いてまでしょうもないことに付き合いたくない。だから大切なひとのことだけを想っておきたいし、余計なゴミに時間を浪費したくない。知らなくていいことは知らくていいし、その全てを受け止めるにはぼくはそう強くない。だから選ぶ。

 SNSはいいこともたくさん持ってきてくれたけど、しんどいこともたくさん引き連れて来た。心には限りがあるからこそ、誰のために心を使うかは自分で決めなきゃな、、、とかなんとか思っていた次第でございます。

 なにを言いたいのかわからないまとまりのない文章だけど、とりあえずいままでと変わらず元気です。また9月頃からちょこちょこっとSNSに顔を出そうかなと思っているので、どうぞよろしくお願いいたします!