連載小説 魔女の囁き:2
二日後、関係者全員がGM室に集まった。先日岩瀬からあがってきた報告書を受けての対応だった。対象の選手の河合には監督と打撃コーチが同行していた。監督とコーチはユニフォームを着ていて、河合は練習着姿だった。こちらは岩瀬と私のふたりで、計五人でのミーティングになる。
監督と打撃コーチは、若干表情が硬かった。当事者の河合は涼しい顔でGM室に入ってきた。いまここにいる五人のなかで、河合がいちばんリラックスしているように見えた。
「で、なんなんですか、きょうは。おれもGM賞でももらえるんですか」
開口いちばん、河合はいった。河合はまちがいなく非凡な才能を持った選手だった。まだ今シーズンははじまったばかりだが、現時点で打撃の主要三部門すべてトップに立っている。髪を金髪に染め、耳にはピアス、首にはネックレスが光っている。今季からファーストのレギュラーに抜擢していた。現在二十二歳で、現在売りだし中の若手有望株だ。
見た目の印象ほど、軽薄ではない。練習はする。自分なりの向上心も持ってやっている。ただ、若い。あまり他人の話に聞く耳を持っていないのだ。才能と独自の努力でここまできた選手だった。
そのあたりも、今回岩瀬からあがってきた報告書には記されていた。
外見は、プレイに支障がでなければなにをしてもかまわなかった。球団の方針だ。だがこうやって本人と対面していて、今後打撃の技術的な欠点を克服しなければ、やはり一流が定着しないまま消えていく選手の印象は拭えなかった。
「残念ながらそういった話ではない。きょうはきみにひとつ提言があるんだ」
私はいった。五人で会議用のテーブルに着いている。私は河合と相対していた。
「ていげんって、なんですか」
河合は髪をかきあげながらいった。
「まあ、かんたんにいうとアドバイスだ。球団としてきみには今後十年以上、チームを引っ張る主力選手になってもらいたいと考えている」
「あざっす。でもアドバイスだったらべつにいいっすよ。いまでも充分にやれてるんで」
両横に座る監督と打撃コーチが河合をたしなめた。私は隣に座る岩瀬を見た。岩瀬がノートパソコンを開いた。河合のほうに画面をむけた。あらかじめ用意していた映像を流した。試合での、河合の打撃シーンだった。
「このホームラン、おれも気に入ってるんすよね」
映像はつづいた。すべて、公式戦の河合の打撃シーンだった。本塁打の映像だけではなかった。フェンス直撃弾、大きく左に切れるファール、外野手に直接捕球された打球。フライを打った場面が多かった。河合は右打ちだった。共通しているのは、全部レフト方向に飛んだ打球だということだ。そのうち、河合が訝しんだ。
「なんなんすかこれ。どうせなら、もっといい打席ばっかりを流してくださいよ」
監督と打撃コーチも顔を見合わせていた。
「土尾GM、これはいったいどういうことなんでしょうか」
監督はいった。
「じつは、彼の打撃には見すごせない欠点があります」
岩瀬が答えた。
「欠点?」
「それが露呈してしまうと、選手寿命にもかかわってくる懸念があります。GMがおっしゃったように、球団はチームの主力として今後の河合選手にたいへん期待しています。それを破綻させないためにも、現状の矯正の範囲内のうちに修正するのがベストだとわたしは考えています」
河合の顔色が変わった。
「ちょっと待てよ。欠点だの選手寿命だの。いまおれが打撃三部門すべてでトップだって知ってんだろ」
岩瀬と河合にはほとんど接点はなかった。河合は球団幹部である岩瀬のことをよく知らないはずだ。河合の入団に岩瀬はまったくかかわっていない。
「だからこそいってるの。いまは結果がでてるからいいわ。でも、そのうち深刻な打撃不振の状態に陥る可能性がある。そうなってからでは遅いと考えたからこそ、今回こうやって分析結果を伝えているの」
河合が露骨に舌打ちをした。岩瀬の眉がぴくりと動いた、気がした。私は口をはさまなかった。
「ちょっと待ってください、岩瀬さん」
打撃コーチが口を開いた。
「こいつが納得いかないように、自分にもその欠点というのがわからない。自分の目から見ても、いまのこいつはほとんど完成形に見えます。おそらく今後の対応で微調整をしていく必要はあるでしょう。ただ少なくとも、現状のスタイルで大崩れするような要素は見あたりません」
河合はうなずいた。監督も賛同しているような顔だった。私は、現場の人間がなにも気づいていないことに、多少の驚きと若干の失望を覚えた。
「じつは私も同じ意見なんだ、岩瀬と」
私がいうと、岩瀬以外の三人が私を見た。
「私も同じ危惧を感じたからこそ、きょうこうしてこの席を設けさせてもらったんだ」
私は岩瀬に、映像の解説をするよういった。
岩瀬は三人にむけたパソコンで、もう一度さきほどの映像を再生した。パソコンはかなり高画質のもので、映像に不明瞭な点は見られない。ある打席のひとつのスイング。その場面がいちばんわかりやすかった。スロー再生と巻き戻しを何度かくり返した。何度目かのスロー再生中、岩瀬がバットをふる河合の体のある部位の動きを口にした。初めに理解したのは打撃コーチだった。つぎに監督。河合本人は、最後まで首をたてにふらなかった。
「こんなの欠点じゃない」
河合はいった。
「そんな細かいことを気にしているほうが調子を崩す」
一理あった。だが、真理だとは思わなかった。
「修正を無理じいするつもりはない」
私はいった。
「この世界、最終的には自己責任だ。いまで充分だと考えているのなら、それはそれでかまわない。ただ、解説にはまださきがある。岩瀬は自分の主観だけでいっているわけではない。最新鋭のデータ解析システムを使った動作解析も行っている。聞く耳があるならつづけさせるが」
河合がふてくされた顔をした。なにもいわなかった。聞く耳は持たないが、GMの私に遠慮している。そんなふうに見えた。
「やめましょう、土尾さん。その気もないのに解説しても意味はありません」
岩瀬はいった。監督とコーチは曖昧にうなずいた。ふたりは、現在チームでいちばん活躍している河合に気を遣っているようだった。
「わかった。よけいなことをしたようだ。忙しいところすまなかった。三人とも球場にもどってくれ」
きょうは本拠地球場でナイトゲームがあった。午後に全体練習が組まれている。その練習前に球団事務所によってもらったのだ。
「よく我慢したな」
三人がでていくと、私は岩瀬にいった。河合が帰りぎわ、おばさんになにがわかる、と吐き捨てるようにいったのだ。明らかに岩瀬にいっていた。
若いころの岩瀬なら、おそらく切れていただろう。じっさい無礼な態度をとった選手に切れたことがあった。もう十年以上前の話だ。当時私と岩瀬が所属していたチームに、打撃の好不調の波の激しい若手選手がいた。その選手の調子を崩す原因を突き止めた岩瀬は、グラウンドにでむいて直接選手本人に伝えた。カウンセリングをするように、優しく、丁寧に。だが、かけだしの岩瀬はまったく相手にされなかった。おまえになにがわかる。選手はそういって、地面に唾を吐いた。ふつうの女性であればすごすごと引き下がるか、泣いてしまうかだった。岩瀬はちがった。その選手の胸ぐらをつかんで詰めよった。岩瀬の剣幕に選手はあっけにとられて立ちすくんだ。まわりにいた人間が止めに入ってふたりを引き離したのだ。
岩瀬は球団から罰金処分の制裁を受けた。ふだんあまりつながりのない裏方の人間が、いきなり選手本人を訪ねて直接指導するということ自体、かなり強引だった。その上、手をだした。だが、岩瀬の忠告は正しかった。その選手は、岩瀬が指摘した通りの原因で伸び悩み、レギュラーどころか一軍にすら定着しないまま、その後三年ほどで自由契約になり、現役生活を終えることとなった。
「あのときはひどかったな」
私がいうと、岩瀬は苦笑した。
「そんな昔の話はやめてください。わたしも多少は学びました」
話は別件に移った。先日岩瀬が見にいった、ある地方の高校二年生の無名の投手のことだった。このまま怪我なく成長すれば、来年のドラフトで指名したいと岩瀬はいった。岩瀬はその投手の潜在能力に惚れこんでいるようだった。私が、こんど映像を見せてくれというと、動画を編集してつぎの機会にでも持ってきます、と答えが返ってきた。ひとしきり話し、岩瀬はGM室を辞去していった。
そのうしろ姿を見て、私はふと思いだした。罰金の件があった翌年にも、岩瀬は自軍のべつの選手の打撃の瑕疵を見つけた。今回の河合と同様に、ささいなものではあった。具体的な修正法まで考えていた。才能はあるが、一軍と二軍をいききしていた選手だった。
そのときは、いきなり選手に直接アドバイスをするような愚は犯さなかった。まず、上司である私に相談した。当時スカウト部長をしていた私の口から、現場の首脳陣である監督とコーチに詳細を話した。そして、きょうと同じように全員同席の上、選手と合議した。
それでも、プロ野球の経験者でもない若い女性スカウトの私見を選手に伝えるのはいささか乱暴にも思えた。
そのときは選手が大人だった。いや、むしろ子供のように野球に対する向上心があった。伸び悩んでいた時期とも重なった。岩瀬が前年に起こした胸ぐら事件も知っていた。選手に対して正しいアドバイスをしていたことも知っていた。すべて承知の上で、岩瀬の話に耳をかす度量も持ち合わせていたのだ。
岩瀬のアドバイスを聞き入れると、以降その選手は飛躍的な成長を見せた。打撃の才能が開花したのだ。翌年からは一軍どころかチームの主力としてレギュラーに定着した。さらにその後も第一線で活躍をしつづけ、数年後には球界を代表する選手にまでのぼりつめたのだ。
一昨年、名球界入りの権利を持って、その選手は現役を引退した。
自分の功績をふり返るとき、その選手は必ず岩瀬の名前をだした。当時はただのスカウトだった女性職員を恩人だといってはばからない。
引退セレモニーには、当然岩瀬の姿もあった。その選手の引退を見送ったときの岩瀬のうしろ姿と、いま辞去していったうしろ姿が重なったのだ。
岩瀬のアドバイスを受け入れて成功した選手は、いまでは数多くいる。だいたいひとシーズンに一度、岩瀬は選手の選手生活に重大な影響をおよぼすような、技術的な瑕疵や修正点を見つける。そのアドバイスを聞き入れて真摯に対応し、瑕疵が改善できた選手は、のちの選手生活で大きな成功を手にしていた。
すでに名球界入りした選手がふたり。今後の成績しだいで名球界入りできそうな選手がふたり。そういった例がいくつかつづくうちに、球団内だけではなく、球界全体でも評判になっていった。
いまはほとんどの選手が岩瀬の話に耳を貸す。むしろ他球団でも、岩瀬に自分のプレイを分析してもらいたいと考えている選手は多いのだ。
現在岩瀬のアドバイスは、プロ野球の世界では畏敬の念をこめて、『魔女の囁き』といわれている。
それを知ってか知らずか、今回耳を貸さなかった河合の選手生活が今後どうなっていくかは、注目でもあり、楽しみでもあった。
結果は意外に早くでた。岩瀬の忠告を蹴って一ヶ月も経たないうちに、河合の打撃は絶不調に陥った。
続 魔女の囁き:3
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