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連載小説 魔女の囁き:8


 春野は初め乗り気ではなかった。
 翌日GM室に顔をだした春野に、私はきのう岩瀬と話して決めた案件の概要を説明した。今回他球団からトレードで獲得し、キャッチャーからピッチャーにコンバートする選手は古山という。春野は古山のことをすこし知っているようだった。私はひと通り話すと、古山をピッチャーとして育てるための協力を春野に要請した。ふたつ返事だと思っていた。予想に反して春野の反応はあまり良いものではなかった。それどころか春野は、なぜかこの案件そのものに難色を示した。 
「獲得が厳しいということか?」
 私はいった。
「いえ、相手球団がトレードに応じないということはないと思います。もういつクビを切られてもおかしくない選手ですから」
「本人が移籍を嫌がると?」 
「トレードに選手の意思は関係ないので、球団同士の話し合いで決まってしまえば拒否はできません。それに、古山が移籍を嫌がるとは思いません。ですが」
 そこで春野はいったん言葉を切った。 
「GMは古山のことどれくらい知っていますか?」
 私は首をふった。
「きのう岩瀬に教えられて初めて知った。二軍でくすぶっているキャッチャーで、肩がとんでもなく強い。それくらいだな」
 春野はうなずいた。
「まあ、それはそれでまちがいではないと思います」
「ほかに特徴があるのか?」
「自分も古山と直接関わったことはないので、そこまで詳しくは知らないのですが」
「なにか問題でも?」
「いえ、とくに問題があるというわけでもないのですが、まあ、なんというか」
 春野にしてはめずらしく煮えきらなかった。ふだんは、賛否どちらの意見でももっとはっきりとしたものいいをする。春野はつづけた。
「わたしはこの案件を否定するつもりはまったくありません。肩がとんでもなく強いのは事実ですし、ピッチャーに転向させるというアイディアも岩瀬さんらしくていいと思います。わたしでよければ投手としての意見やアドバイスはいくらでもします。ただ」
「ただ?」
「古山は」
「人間性に欠点か」
「いえ、わたしの知る限り野球にとても真摯にとり組んでいる真面目な好青年です」
「では」
「申し訳ありません、GM。ちょっとうまく説明できません。GMは、古山本人とはいつ会いますか?」
「獲得が決まればすぐにでも会うつもりだ」
「もし古山本人が投手へのコンバートを了承するなら、わたしも微力ながら力を貸します。たしかにあの豪速球をマウンドから投げる姿を想像すると夢が広がります」
「というと、本人がコンバートを承知しないと?」
「わかりません。わたしからあれこれいうよりも、GMが古山と直接会って話したほうが早いと思います」
 やはり春野は核心には触れなかった。気になった。だが、多少なりとも古山のことを知っている春野が、直接会ったほうが早いといっているのだ。私はそれ以上訊くのをやめた。
 それでも春野がGM室を辞去し、ひとりになると、私は春野の発言の意味を考えた。キャッチャーとしては三流だが真面目な好青年で、春野になにかしらの問題を感じさせる、実力不足から現状解雇寸前の若手捕手。
 われわれは、古山を適正のあるポジションへコンバートし、今後もプロ野球選手をつづけていくための指針を示そうとしている。ある意味救いの手を差し伸べようとしているのだ。古山にとっても悪い話ではないはずだった。そこに引っかかる春野の真意とはなんなのだろうか。
 私はパソコンの画面を開いた。古山を検索し、なにか情報がないか探した。プロ入り五年目で一軍経験のまったくない、クビ寸前の二軍のキャッチャーの情報など微々たるものだった。手がかりになるようなものはなにもない。映像や写真やつぶやきなどのSNSも、古山はとくにやっていないようだった。
 私はパソコンの画面を閉じた。いくら無名の二軍の控えとはいえ、他球団の上層部の人間が、正式に獲得が決まる前に選手本人と接触するわけにはいかなかった。春野のいう通り、トレード成立後に直接会って感触をたしかめるしかないようだった。


 二日後、岩瀬は古山の獲得をすんなり決めた。古山は、このままいけばほぼまちがいなく今季か来季で解雇される。いまの所属球団にとってはお荷物といっていい。私としては獲得ができないとは考えていなかったが、もうすこし時間はかかると思っていた。理由は明確だった。古山の所属球団はもともと岩瀬が所属していた球団で、その前は私も所属していた球団だ。私がいまのチームでGMに就任する際に、その球団から岩瀬をかなり強引な手法で引き抜いた。軋轢が生じるのを覚悟の上での引き抜き行為だった。当然軋轢は生じた。当時のことを忘れていない運営側の人間は、いまでもその球団に何人も残っているのだ。
 岩瀬は獲得を決めたその足でGM室に報告にきた。
「無償で獲れました」
 岩瀬はいった。こちらからは金銭も払わず、代替の選手も渡していない。ただで古山をもらった、無償トレードというやつだ。球団として因縁のある私たちにあっさり渡すくらいだった。こちらが考えているように、古山は現状球団から戦力外の対象で、よほどお荷物あつかいの選手なのだろう。
「よし、よくやった。相手球団との交渉は問題なかったようだな」
「ええ、とくべつなにも。すこしは抵抗があるかと思ったのですが。わたしが交渉した相手も最近上層部入りした人物で、わたしが土尾さんの声かけで球団を移籍したこともあまり知らないようでした」
「だったらいい。ところで、古山本人とは話したか」
「ええ、かんたんなあいさつていどですけど。コンバートなどの詳細は、相手球団に対する情報漏洩も考えてまだ話していません」
「古山自身になにか変わったことは」
 やはり私はきのう交わした春野との会話が気になった。春野の話を聞いて、古山という選手にひと筋縄ではいかない印象を受けたからだ。岩瀬は私の質問の意味をはかりかねていた。
「いえ、とくにおかしなところは。いきなりのトレードで驚いてはいましたけど。まだ深い話はしていないので古山の本質はわかりませんが、きょう話した限りではとても素直で前むきないい子でしたよ、野球にも真摯にとり組んでいるようですし」
 ますます古山のことがわからなくなってきた。春野は古山自身になにか問題がありそうな含みを持たせ、じっさい本人と対面した岩瀬はとくに問題はなさそうだという。もしかすると春野の勘ちがいではないのだろうか、と私は思った。春野も古山のことはあまりよく知らないとはいっていたのだ。
「正式な書類のやりとりは?」
 私はいった。
「もうすべて終わってます。古山はあしたからチームに合流します」
「よし、わかった。どのみちピッチャーとして育てるにしても、当面は二軍での調整になる。そしてどんなに順調にいっても試合で投げさせるまでには数ヶ月はかかるだろう」
「二軍の首脳陣にはもう話をしてあります。驚いてはいましたが、監督もコーチ陣もみな前むきです」
 現場の受け入れ体制にも問題はなさそうだった。もっとも、岩瀬からの要請を断れるほど肝の座った人間が、いまの監督やコーチ陣のなかにいるとは思えないが。
「あしたは私も二軍の球場にでむいて古山と話す」
「土尾さんもいらっしゃるんですか?」
 岩瀬は意外そうだった。
「ああ、ちょっと気になるんでな。岩瀬に同行させてもらう。じゃまはしないから心配するな」
 それから私は、岩瀬と今後の古山についてのビジョンを深く掘り下げた。岩瀬にはすでに古山をピッチャーとして育てていく具体的なプランがあった。ピッチャーとしての体作り。練習メニュー。マウンドからの投球のアプローチ。体の使い方。制球力、変化球の修得。投げる以外のピッチャーの技術。岩瀬が主導の案件だった。細かいことに口をはさむつもりは私にはなかった。専門知識の補助が必要なら、チームの投手部門を統括する春野を頼ればいい。古山にちょっとした引っかかりを見せただけで、春野もこの案件そのものを否定したわけではないのだ。
 その後さらに古山の話をつづけた。岩瀬は楽しそうだった。かなり期待しているようでもあった。今後の育成にも自信がありそうだ。まるで自分が投手にコンバートされるかのように、岩瀬は古山の未来の姿を力説した。
 岩瀬のポジティブな話を聞いているうちに、春野が口にした古山への懸念が徐々に私の頭から消えていった。



 翌日私は岩瀬に同行して二軍の球場を訪れた。


 続 魔女の囁き:9


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