変な夢を見た次の日には

変な夢〜THOUSAND DREAMS〜

「昨日、なんか変な夢を見た」という会話をすると
♪踊れ〜踊れもっと〜と歌い出すという一連の流れは、今もたまに起こる。
いやいや、ここでいう「変な夢」とは、指しているものが違うのだ。

自分にとっての夢が、他人にとっては真っ当でないことなんて、よくある話で。自分の中にない解に対して、「変」という表現をしてしまうのは、至極簡単であるし、それによって自身を「大衆」として保護することができる。自身の身を守ることはできるが、心を汚す。自分の中から排除することも必要であるし、すべてを入れ込まなくて良いと思うが、そこに「変」という冠をつけて、分類することで自身を小さくする。自滅。
敢えてこのタイトルをつけて、副題に「THOUSAND DREAMS」をあしらっているところに、GLAYの懐の広さを感じる。人と同じでなくても良いし、いわゆる「みんな」が受け入れられないものに、敢えて総称をつけることで自身の心を汚すということだと教えてくれる。

ただ、GLAYが歌うと、演奏すると、不思議と説教くさくならない。考え方の一つとして提示され、自分ならばどう考えるかな?と考えを巡らせる。
そして、そこに「音楽だからできること」の一つを証明してみせる。
楽曲そのものはポップなので、ライブでタイトルや歌詞の意味が多少わからなくても、心地よくノルことができる。とてもライブ向きだ。
歌詞の意味がわかってくると、大人になったなと考える一方で、歌詞を味わうようになると、尚更ライブで演奏されることが楽しみになる。こういうテーマの際に、敢えて明るくすることで、それこそ説教っぽくならないようにし、また、重くて受け止めきれないとい常態に陥らないようにする。エンターテイメントへの考え方のベースを垣間見ることができるエピソードだ。

Aメロで、「ウルさく言わないで」と訴えているにかかわらず、ラス前の羅サビでは、「鳴らせ鳴らせ胸の鼓動をウルさがられるまで」と提案している。この流れからも、楽曲がポップに徹している理由が窺い知れる。ポップであれば良いだけではなく、最後にどこに着地させるのかがポイント。ジメジメした感情をできる限り長引かせることで、ある意味での際立たせ方をするやりかたもあると思うし、それもある意味では正解なのではないかとも思う。
もう一つは、明るくさに向かって反転させる。悪いことばかりではないさと自分でも割り切ったりしながらも対処できる明るさに着地できるようにする。GLAYの場合は、ポップな楽曲をぶつけてくる時は、決まって後者となる。

だからこそ、自虐的にならずに、少なくとも自分自身は、自分のことを認められる存在でありたいと思うばかりだ。

https://www.youtube.com/watch?v=bkyy7q9wNsY

#GLAY #変な夢 #thousanddreams #誰の胸にも密やかなdesire

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