第一声を聴いただけで勝利が確信できる
逢いたい気持ち
「GLAYの日」と呼ばれる7月31日にリリースされた1曲。とにもかくにもボーカルの第一声目にやられる。腰が抜けたと言ったら大袈裟だが、それくらいレベルで、度肝を抜かれる。この声が聴けたら、この楽曲の勝利は決まったようなものだ。コンポーザーのTAKUROもこの声を聴いた時、ガッツポーズをしただろう。
TERUのボーカル力が秀逸すぎるため、普通に聴いていると気づきにくいけれど、特にAメロとかはメロディが一気に下がったり、そこからまた高音に向かっていくような作りになっているから、ピッチを保ったりするのが難しい楽曲だと思う。高音を気にすると低音部分が出せなくなるし、低音を意識しすぎると高音とのバランスに欠ける。音として発声できることはもちろんだが、そこに楽曲の世界観も加えて歌うことは、本当にTERUだからなせるものだなと妙に納得をしてしまう。ボーカル力がなければ、この楽曲が持つ歌詞の重みを表現しきれないと思うが、それを30代そこそこで創り上げてしまうところは、さすがだなと思わざるを得ない。
そして、30代であの説得力を生み出すわけだから、そこから20年以上の歳月を重ねた今の「最強TERU」が歌うとどうなるのか。考えただけでも鳥肌ものだ。こういう楽曲を数え出したらキリがない。
GLAYの代名詞バラードであることは疑いはないが、それでもこれまでのバラードとは一線を画している点は、サビのギターではないか。ギターが目立つわけではなく、あくまでボーカルを支えるような役割を担っているのだが、だからと言って控えめではなく、音数の多いトレモロで楽曲の世界観を醸成しているところが、他の楽曲にはない特徴であり、レアポイント。MVで表現されているあの感じは、まさにギターの音が創り出す世界観を見事にマッチングする。完全に晴れやかな状態にはならないものの、まだ重たいベールがが掛かっており、そこから少しだけ希望の光が覗いているような感覚をもたらす。音数が多いけれど、それは急かされるようなのではなく、忘れていたものや、忘れそうになっている大事なものを自分の元に届けてくれる音。規則的な音のリピートは、脳と心に適度な刺激を与えてくれる。だからこそ、哀しさではなく、最後にちゃんと希望が残る。
そして、そのふわっとしたギター音の下にどっしりとした、でもメロディアスなベース。この歌うベースもまた、希望に一筋の光となる。それこそがGLAY楽曲の真骨頂。