秋の季節に春の歌

桜めぐり

春の訪れとか、優しい風とか、太陽の匂いとか、緑が生き生きと育っている感じとか。そういうものを連想させてくれる。だから、心がすっと楽になる。張り詰めていた空気を一瞬にして解きほぐしてしまうような力がある。
TERUの声は、最初、本当に頬を撫でる風のような優しさがある。ファルセットというには、艶やかさよりも温かさが前面に見えて、地声ではカバーしにくい繊細さを纏っている。でも、その柔らかさと温かさの中に、ふと見える寂しさや憂い、不安のような要素が一層声の魅力を引き出している。青春特有のキラキラだけでは表現できない「蒼さ」のようなものが声の中に見え隠れしている。ただ、その声で歌い続けているのは、1番のサビまでの話。1番サビ以降は、時々ファルセットの役割のような形で顔を出す。それが、ずっとポジティブではいられない状態をうまく代弁してくれているように聴こえる。

当事者として歌うだけはなく、第三者として当時の自身を見ているような歌詞だからこそ、リアリティ以上にメッセージ性を感じる。でも、リアリティを生きているからこそ、そのメッセージに説得力があり、納得感を得られる。そして、それがリアリティになる。その歌詞を支えている音は、シンプルながらに、歌詞を支え、装飾し、時には歌詞を引き上げる役割をしている。
アコギの優しい音は、ただ寄り添ってくれるだけでもありがたいのに、時にエールを送ってくれるようにも感じる。変わらないリズムは、脈々と続く日々は淡々としているように見えるけれど、その日によって微妙に速さが違ったりしてしまうこともある、けれどそれでいいということを肯定してくれているような役割があると思う。

GLAYのさくらソングは、どこかに憂いを感じるからこそ、いつも涙を引き出されてしまう。そして、優しさの中に強さが見える。桜が咲く季節は、彼らの故郷である函館は、5月くらいだろうか。長かった冬の終わりを告げ、暖かさの訪れを教えてくれるさくらは、短い間だけでも大きな花を咲かせ、人の心にゆとりをくれる。自分にとってのGLAYのような存在だなと感じる。
自身が楽しみながら、日々を精一杯過ごすことへの肯定感を持てたらきっと、その時は、また、「桜めぐり」の解釈も変わってくるかもしれない。
だって、この楽曲のアウトロは、次につながることを示唆するような終わり方をしているのだから。

来年の桜の季節は、この楽曲と「さくらびと」を携えて、桜並木をどこまでも歩こう。

https://www.youtube.com/watch?v=sXqmcO5T6Iw

#GLAY #FREEDOMONLY #桜めぐり #GLAYのさくらソング

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