「一秒」が自身を永遠であると主張しているという解釈であっているのだろうか

永遠を名乗る一秒

永遠を「感じる」一秒ではなく、永遠を「名乗る」一秒だっていうから、そういうところにTAKUROだから持ち得るユニークさを感じる。オリジナリティというとなんかちょっとチープな感じがするが、他の誰かが楽曲の詞やタイトルに永遠を名乗るという表現が使わないだろう。
永遠なんてないと20年ほど前に刊行した随筆(という言い方をあえてしよう)の中で語っていたTAKUROだからこそ、この表現につながっていると思う。
先日、リリースにあったが、3年連続でセイコーマートのテーマ曲になっているとのこと。話はそれるが、ハセガワストアやラッキーピエロもGLAYがテーマ曲を作ったら良い。

GLAYの冬の楽曲は、様々なアプローチから、空気の凛とした感じや雪が舞う様子や、雪が積もっている景色を思い浮かべるような音を生み出す。アプローチは全く違うけれど、それが、冬の寒さや空気の澄んだ感じがこちらもわかるからすごい。「永遠を名乗る一秒」の中では、人通りの少ない道路にチラチラと雪が舞っている景色が見えてくる。その景色が、メンバー全員お共通の景色ではないが、彼らの中での共通の景色があり、それをイメージした音作りをしているからこそ、聴き手サイドも具体的な絵を思い浮かべやすい。その具体イメージをリスナーの頭の中にスッと創らせる音、見事としか言いようがない。

冬の楽曲だから、豪雪とか吹雪とかをあえて表現するわけではない時は、基本的にバラード調べでしっとりしている。GLAY楽曲も比較的そういう楽曲が多い。ただ、多分にもれず、間奏にはふさわしいと言えるかの賛否は分かれそうなギターの唸りが入るのが、GLAYの定説。これがないと、楽曲の締めるべきところがちゃんと締まらなくなる。バラードしすぎないことで、その楽曲の持つ世界観への理解が深まるし、1曲の中で展開すると、最後の盛り上がりに一気に持って行くことにもつながる。

そして、GLAYの冬楽曲の特徴が、その寒さの中に感じる温かさ。優しさという言葉に置き換えることもできる。フッと感じる温かさがあるからこそ、それがGLAYの楽曲であることの証明にもなる。寒い冬を知っているからこそ、春の訪れを心から待ちわびているからこそ、冬の楽曲には、温もりが存在する。それは聴き手サイドが感じるポイント。自分だけの温かさポイントを探し、心を温める。それを季節に合わせてやっていける喜びは、言葉じゃなくGLAYが教えてくれたこと。

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