10年ほど前に起こった歌詞と感情があまりにもリンクする経験
冬の遊歩道
この楽曲を聴くと心の奥の方が本当に本当にキューッとなる。長い人生の中のどこかのタイミングで、強烈にある楽曲が「自分のことを歌われているのではないか」と錯覚を起こすほど、その時の状況にマッチしすぎることがある。この楽曲は、まさにこのツアー中に自身の身に降りかかったいやーーーーな出来事に感情を揺さぶられ、その感情と歌詞がリンクしすぎて、一人でカラオケで歌いながら、新幹線の中で聴きながら、寒すぎる人の家で心も凍えながら、嗚咽した。呼吸の仕方がわからなくなるほど泣いた。そんな映像が浮かぶし、その時の感情が乗り移ってくるから、この楽曲は冷静に聴けないでいたが、久しぶりに聴いたら、ただただ良い曲で、ようやく憑き物を下ろす頃ができたような気持ちになった。
それでもやっぱり、リンクしすぎた歌詞あたりにくると、心がキューっとなる。音楽の力って本当にすごい。
人の心情をここまでずばり歌われてると、なぜこんなにも自分の今の気持ちをわかっているのだろうか?という歪んだ自意識がメキメキと姿を現してくる。でも、こういう時に出逢う楽曲は出逢うべくしてそのタイミングで出逢うのだと思うので、その時の私にとっては、「冬の遊歩道」がなかったら、どこかでうずくまったままだったかもしれない。
そう考えると本当にこの楽曲に救われた。
この楽曲は、表現の振れ幅がえげつない。もちろん、尊敬を込めた「えげつない」。アコギ1本でイントロが静かに始まったかと思えば、その静寂を割くように鍵盤の低音がドーンと鳴る。その後はまた静かにAメロ、Bメロの途中までアコギとTERUのウイスパーボイスだけで進んでいく。どこまでこのアコギだけの感じが続くのだろうか・・・と思っていると、急にエレキギターが道ですれ違うような感じでスーッと、でも尾を引くような感じで入っていて、しばらくしてまた束の間の静けさが訪れる。ホッと息をつこうとすると、またギターが鳴り、ベースとドラムも世界の中に飛び込んできて、一気にサビへと我々を誘う。静寂とその中にみせる激情は、冬の天気が急に変わるような様に似ている。そのギャップと、激情の状態で走り抜ける中で歌われる「失ってみてからの方が・・・」という歌詞が、とにかく心を突き刺すのだ。そりゃ、呼吸の仕方も忘れるという話。
↑この歌詞を見た時、震えたな。
自身の今の気持ちを表現するのは、この歌詞以上のものはないと。