ひとつのツアーの中で象徴的な楽曲は何だろう。
夏音
昨年のFCライブで聴いた「夏音」、稚拙であることはわかった上で敢えて表現すると「神がかっていた」。この楽曲の持つ深みとか、ちょっとした重みとか、そういうものをすべて引き受けた上で表現した最高峰が、あの時の「夏音」だったと思う。歌詞を読んだだけでも、この楽曲がどのようなストーリーを持っているのかはわかると思うが、楽曲のエピソードを聞くと、心が締め付けられる。世界観が大きいからこそ、演奏する方もどこか身構えてしまうようなところもあるのではないか。ただ、そういう重圧のようなものもすべて踏まえて、全力で楽曲に挑んでくれるGLAYが放った夏音は、過去に例をみないほど、力強くて、優しくて、熱くて、慈悲深いものだった。
TERUの声は、なぜにあんなにも全身を震わせるのだろうか。もう、歌っているという境地ではなく、魂を絞り出し、問いかけているような、目の前にある対象物に対して、異常なまでに心を砕いているような声に、感情の全てを揺さぶられるような感覚。歌っている時にどのようなことを考えているのだろうか。どうしたら、あんなにも1曲1曲に魂の奥の奥からの声を出せるのだろうか。それは、年を追うごとにどんどんと声に厚みが出てきていて、一層魂を震わせられる。楽曲が持つ元々のストーリーもそうだと思うし、歌いながら歌詞を噛み締めることによって、そこにどんどんと感情が乗ってきているということもあるかもしれない。
TAKUROの歌詞は、それまでの歌詞により拍車がかかるような言葉を紡いでいく。そういうところは、本当に天性のものだと思う。
盛り上がるメロディをさらに加速させるような言葉の乗せ方。そりゃ、歌っている方だって、否が応でも感情も加速していく。感情が揺さぶられる。
それは、ボーカルだけではないだろう。そのボーカルに引っ張られる楽器隊も自分たちのプレイに感情が入っていくだろう。特にバラードは繊細さが必要な箇所も多いだろうから、冷静さを持ってプレイしているところを、TERUの歌に熱量がどんどん上がることも多いのではないか。
夏音のアレンジは、ライブアレンジが好きだ。
2番サビのところで、ガッと全体が開けたような、そして一瞬だけそこに静寂を見るようなアレンジ。何かから解放され、悲しみや寂しさもちゃんと認めた上で、すべてを受け止められるようなアレンジ。そこに向かって行って、そこで解放される感じ、GLAYの優しさを感じる。
そして、上がった熱量を最後しっかりと落ち着かせ、受け入れていくように楽曲が終わりを迎える。
夏音というけれど、物哀しさが秋の切なさに重なる楽曲だ。
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