永遠という言葉の意味を考えたくなる

Eternally

GLAYの楽曲中で、使われる言葉の解釈が微妙に違うもの、結構あったりする。その一つが「永遠」。この楽曲のタイトルにも関連する言葉だが、「永遠」の解釈は様々だ。

「Eternally」の中での使われ方は、

「出逢いはとても不思議な時の贈り物ね」
偶然僕もそう感じてた 永遠のすぐそばで

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」 

こんな感じ。永遠は当たり前にそこにあるものとして使われているイメージ。

有名な楽曲でいうと「HOWEVER」。

絶え間なく注ぐ愛の名を 永遠と呼ぶ事ができたなら

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永遠については、まだ不確定要素という認識。待ちわびているもの、憧れの対象という感じ。

カップリング(C/W)の代表曲である「春を愛する人」は・・・

安物の「永遠」なんてそこら中に溢れている

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永遠を高尚なものとしているからこそ、安物がその辺にたくさんあるからちゃんと見極めないといけないという本物へのリスペクトを感じる。

まだまだあるだろうが、要するに、永遠を擬人化しており、永遠というものに懐疑的でありながらも、きっと誰の近くにもある。でも意外と気づかないものだから、それを共有できる人が見つけ、本物にしていくのだという解釈になるか(あまりにも普通すぎるまとまり方になってしまう。。。)。

TAKUROは自身の著書にて、「永遠などないが、それを願う気持ちこそが永遠だ」というようなことを書いている。
この境地にはまだたどり着いていないが、私も永遠は良くも悪くもないものなんだと思っている。いいことも悪いことも永遠には続かない。
でも、嬉しい時、幸せな時に人は永遠を願う。永遠への感情はその程度くらいで良いのではないかとも思う。そして、永遠に続かないものがあったとしても、それはダメだったということではなく、永遠に続かないのだから、それが当たり前。永遠を求めるならば、それ相応の努力をしなければならないということだろう。

話が永遠に偏りすぎたが、2013年にGLAYは故郷函館で過去最大の凱旋ライブを行った。おそらく函館史上、今後も抜かれることのない記録だろう。塗り替えられるとすれば、それはきっとGLAYだろう。
そのライブのテーマソングがこの「Eternally」。
少し暗くなった空の下で、照明に照らされたGLAYが演奏する「Eternally」は格別だった。函館の空にすっと溶けていくような感覚。GLAY史上まれにみるほどの豪雨だったが、それでも空に吸い込まれていくような「Eternally」は、函館が似合う楽曲だ。

そして、MV。ストーリー仕立てになっていて、とにかく美しい。「Eternally」を表現するならば、このMVしかないというくらい、世界観の全てが詰まっている。
メンバーがところどころギャグのように登場するのが、これまたGLAYらしいのです。


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