追いかけたのは心だけ

シキナ

いまでも、このイントロを聴くと「ROCK AROUND THE WORLD(以後:RATW)」ツアーを思い出す。このツアーがあまりにも思い出で多すぎて、このイントロだけでその思い出がブワッと蘇ってくるため、涙腺が非常に脆い。その後、何度かライブで聴けているけれど、やっぱりRATWの印象が強く、思い浮かべるのは、RATWの時のシキナだ。ボレロからのシキナの流れ。これを考えた人のセンスには脱帽ものだ。

シキナは、どういうジャンルに当てはまる楽曲なのだろうか。ロックというほどでもないし、POPでもない。GLAYの楽曲の中にも近いしジャンルのものがないように思える。跳ねた感じがあるけれど、少し影を感じるようなメロディが心の奥に隠れている切なさを少しずつ刺激してくる。
それが、楽曲が進むにつれてじわじわと身体中に侵食するように広がっていって、最終的には涙腺をどんどんと緩ませていくのだ。跳ねた感じの中に広がる切なさのようなものって、コード進行とか、そういうもので説明がつくのだろうか。どこのフェーズから漂っているものかもよくわからず、ただただ、その物悲しいものが体に広がっていく感覚が、実は嫌な感覚でないことがこれまた興味深い。キューっとなる切なさの正体が見えないからこそ、その感覚が尊いようにも感じる。

しかもGLAYを象徴するもっともわかりやすいバンド名がアルバムタイトル。『GLAY』の1曲目が背負う重圧の大きさ(あくまで作る側の話w)たるや、想像以上のものでしかなかろう。でも、ザ・GLAYみたいな楽曲は、単調すぎてそれはそれで、なんか物足りなさを感じる。そういう懸念の全てを一瞬で吹き飛ばすような力が、この楽曲には宿っている。楽曲、メロディライン、コード進行と音楽的側面は、瞬時にリスナーの感覚に訴えかけて、入り込んでいくことができる一方で、歌詞においては、直感的に自分の中に入ってきたとしても、やっぱり何度もライブで聴いて、その楽曲が自分の中でアップデートされて磨かれていくのは、どちらかといえば歌詞の方なのだ。
そして、その歌詞がまた、直接的な表現ではなく、そっと余韻を残すような表現力。

腕を伸ばせばいつもの様に 抱き寄せられそうで
隣り合う駅 逆向きの汽車離れてく

不意に(くるり)背を向けて ドアを閉める音
追いかけたのは心だけ

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

追いかけたのは、心だけって。おしゃれな表現だけれど、その分やっぱり切なさが増す。

でもしっかり最後のサビの中で、切なさを強さに昇華できている歌詞に展開する。

時は経ち人は傷を押さえ また夢見てしまう

時は経ち人は傷を癒し また歩き始める

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

GLAY楽曲の面白いところ。最後のサビに、「シキナ」の思いが詰め込まれている。

#GLAY #シキナ #四季の名 #歌詞の表記ミス

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