どうせ永久に見捨てられた俺たちならば・・・と歌う理由

ROCK'N'ROLL SWINDLE

GLAYの歴史をある程度ご存知の方であれば、この楽曲がどのような意味のあるものかを知っているだろう。
もちろん、リリースされた当時は何も知らず、久しぶりのシングルに新曲が4曲も収録されていてシングルだなんてお得だな〜と思ったことと、そういえば、この楽曲は2月のライブの時に2曲聴いているな〜というくらい。もちろん、まだ「2月のライブ」の意味すらわかっていなかった。いつのタイミングで知ったのか、その当時どのような思いだったのかは、実はあまり覚えていないが、嬉しい話ではないために、まだこの楽曲のイントロのギターを聴くと、心の奥の方がキュッと縮むような気持ちになる。もちろん私自身が経験したことではないが、少なくとも自分だったらどうかと考えたりはしたからだ。

事実を知ってから歌詞を読むと、この歌詞を書いていたTAKUROの気持ちを想像せずにはいられない。この頃は、まだノートとペンと烏龍茶の時代か。ノートにこの歌詞を書き込みながら、何を考えたていたのだろう。正常の心持ちではなかったのではないか。
遠回しな表現ではあるが、聴く人によっては、ストレート以上に響く。この歌詞をアウトプットすることが、TAKUROに精神的な不安さをもたらすことにはならなかったのか。

↓この記事でも同様のことに触れていた。。。思い入れが強すぎる。。

それでもGLAYの強さは、ただただ自分たちが大変な目に遭ったのだから、みんなも苦労はした方がよいよなんて歌うのではなく、それを音楽にすることで、ライブで発散できる場を提供してくれること。
解決策を提示するのではなく、事実は事実として歌詞やメロディーや楽器のフレーズに落とし込み、誰かの背中を押すことに徹してくれる。
歌詞の意味に気づいた人がいれば、その解釈はリスナーに委ね、自分たちはライブで楽曲に磨きをかけていく。この行為こそが、本人たちの音楽の向き合い方の形であり、ファンとの信頼関係の作り方なのではないかと感じるほどだ。

強い曲であり、楽曲としての心地よさを感じる一方で歌詞に感じる違和感。それは、これまでを捨てるのではなく、糧にして、ここからまた仲間たちとともに夢の先を見ながら続けていきたいという意思表明にも捉えられるのではないか。

のっけから歌詞については、「なかなか言うな、さらけ出すなと」思うほど、結構切り込んでいる。
特に2番Aメロの歌詞とか。

週刊誌めくれば、人の個性が4つできまると
そんならBIG MAMA 俺の個性はどこへ行ったの?

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

 

ライブでは、「どこへ行ったの?」のところは歌っているというよりも、全力で問いかけているような口調になる。TERUの感情のギアが入るところなのだろう。脳天に向けて、TERUの歌声バズーカをガツンと入れられた感じ。
とにかく歌詞をじっくり読むと、GLAYが当時どのように周囲から見られていたのかも多少なりとも紐解けるはず。

そう、GLAYは決して順風満帆な30年ではなかったのだ。
この時期は、デビュー10周年の東京ドーム公演が前年にあった頃。。。


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