佐久間正英氏への尊敬と感謝

DIAMOND SKIN

3枚目のシングルだったか。世の中にGLAYという名が知られる以前から、佐久間正英氏(以降:佐久間さん)はGLAYのプロデューサーだった。そして、伝説と言われる99年のEXPOと関西最大規模を誇る2004年のEXPOには、キーボーディストとしてステージに立ってくれている。彼らにとっての佐久間さんの存在は、到底私には想像もできず、語ることすらおこがましいほど。でも、ファンとしても、佐久間さんという存在感が、彼らの音楽人生において、絶対に語らずには先に進めないものであることは、間違いない。

この「DIAMOND SKIN」が佐久間さんがプロデューサーとしてGLAYに関わった最後の作品だったはず。だから、個人的には楽曲云々という以前に、この楽曲は耳にするだけで鼓動が早くなる。

佐久間さんのことを知ったのは、通勤中の電車の中。住み慣れない地で過ごし、1年経たないタイミングだったように記憶している。地下鉄だったので、外は見えずに暗かった。ご子息がX(旧:Twitter)で報告をした文字で見ただけだったのに、涙があふれた。ドアの近くに立っていて、ドア付近の棒を握り、下を向いたまま、あえて涙は拭わなかった。そのままおひとしきり泣いた。
駅に降り立った後のことは覚えていないが、その日の仕事を終え、帰宅後も不意に思い出しては泣いた。そして、しばらくの間、引きずった。

そんな楽曲、いっときは他国から批判をされたという噂を耳にした。楽曲のの世界観が国によっては受け付けられないということが理由だそう。一つの楽曲として捉えたらどうだろうなんて思ったりもするけれど、考えはそれぞれの自由ではあるので、そういう意見もあって然るべき。
ただ、この楽曲の中で描かれている世界観を本人たちが肯定しているということではない。GLAYのイメージには似つかわしくないのがその理由。だからか、いくらでも妖艶さを出せるのに、TERUの歌声から、妖しさのようなものは感じず、ただその世界観の中で、ボーカリストとしてできることに徹しているように思う。そういう切り替えができるボーカリスト。ある意味で、楽曲の中で色々な役を演じるように、その世界観を歌い分ける。TERUのボーカリストとしての懐の深さと楽曲の中における自身の存在意義をどこに置くのかにおける理解力の頼もしさを感じずにはいられない。

この世界観を表現するのではなく、それを第三者的としてどう捉えるのかということを作者から問われているようにも感じた。

#GLAY #DIAMONDSKIN #佐久間正英 #佐久間ファミリー

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