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ふと妄想してみる、今のTERUならば・・・

Missing You

何度も再録再録としつこいくらいに言っているのは、楽器隊はもちろんのこと、何よりもTERUの声が今、絶好調に良いからであって、やっぱり昔の良い楽曲たち(そりゃ、究極は全部なんだけど。。。)は、今の絶好調TERUで聴きたいという贅沢を考えてしまうもので。
再録でなくとも、ここ最近ライブではご無沙汰をしている、いわゆる「ゴースト」な楽曲たちで、今のTERUが歌った時のことを想像しただけで鳥肌が立つのが、この「Missing You」。GLAYど定番、王道楽曲、TERUが歌う以外の誰にもこの楽曲の世界観は表現できまいと思うほど、ある意味では「Winter,again」よりももっともっと深い冬を感じる楽曲。MVの世界観がその全てを表している。その深い冬を声で表現できるのは、やっぱりその冬の冷たさや、一方でその冬の中にある暖かさも知っているからこそ、それを排除した表現すらも的確に声で表現できるのだ。そして、その声の深みや、声のバリエーションや年齢を重ねたからこそ出てくる色気が圧倒的に増した今。今こそ、満を持して「Missing You」を今のGLAYで、生で聴きたい。・・・とライブを前にすると、欲がどんどんと出てくる。

この楽曲を初めて耳にした時、まだ学生。2000年のシングルの集大成的な位置付けで、確か、ライブで新曲として聴いたのが初めだったような。会場がグリーンドーム前橋で、「前橋に捧げる雪の歌」という仮タイトルで紹介された。雪の歌というけれど、歌詞もサビにがっつり

どこまでも白い雪のような あなたに降る夢の礫

GLAY公式サブスクリプションアプリ「GLAY」

と雪を歌っているが、まぁこれは言ったら比喩で、雪そのものを歌っているわけではないし、雪が積もった場所のある意味での温かみのようなものは感じられず、枯れ木ばかりの荒れ野に、木枯らしがピューピューと吹いているような、色彩も失ったような画が思い浮かぶ。GLAYが持つ温かみの完全に対称にいるような楽曲なのに、こんなにもひんやりとした感じが伝わってくる不思議。今のTERUの声の太さや声色のバリエーションであれば、よりリアルにその世界観を目の前に見せてくれるのではないかと大いに期待している自分がいる(まだ、次のツアーのセトリに含まれているかわからないのに、なぜか聴けると思ってしまっている自分)。

TERUの声もさることながら、間奏がまた絶妙に良い。ツインギターがそれぞれ主張することを抑えながらも、それぞれが際立っていく先のユニゾンや、ベースの隠しきれない存在感が、この楽曲を「おっかねー」曲に仕上げているのではないか。そう、怖いのだ。MVのTERUの表情が尋常ではないことがよくわかる。今ならば、どんな表情で歌うのか。瞬きができない。

楽曲は季節を超えるという考えには大賛成だが、そんな季節を超えた良曲ほど、やっぱり当該季節でその醍醐味を味わいたい。

#GLAY #今のTERUの声で聴きたい #MissingYou #夢の礫 #春の恋しさを花の息吹よ

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