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”憧れのお婿”いつからだろう?

 自分がゲイだとしっかりと自覚したのは中学生の頃だろう。万人からモテるきゅうり君ではなかったが、一人の女の子が本命チョコをくれた事はあった。きゅうり君自身とても話も合う子で大好きであった。
 でも、この頃からlikeとloveの違いが分かるようになり、この女の子のきゅうり君に向けられている気持ちはloveで、きゅうり君が女の子に向けている気持ちがlikeだとわかった。その女の子にはホワイトデーに義理チョコのお返しと他の子と同じクッキーを渡した記憶がある。

ゲイと自覚すると同時に自分の立ち位置を知る中学時代

 学校というものは実に不思議な所である。担任の先生次第でどの教室も番うように感じた。もちろんきゅうり君はそんな所になじめなかった為すぐに不登校。中学2年生の時には2日しか登校していない。勇気を出して4月終わりの集合写真の時は学校に行った。姉であるよしえさん、そして、仲良しの女子クラスメイトに声をかけられて本当に勇気が必要で振り絞って行った。
 2年生の担任は他校から赴任してきた女性教諭であった。スーツを華麗に着こなすかっこいい女性。きゅうり君が通っていた学校は半分の生徒は真面目だが、半分の生徒はとても荒れているという学校であった。(後にストップママに教えてもらうのだが、鑑別所に行った同級生が5人ぐらいいたとの事)。女性教諭は集合写真の並び順を決める時も非常にピリピリしていた。きゅうり君は女子とは仲良かったが、男子とは話を少ししか合わせる事が出来なかったので、向かって左側が男子、右側が女子というひな壇電での撮影は非常に不快だった。
そして、担任の女性教諭からは「きゅうり君は、身なりだけはしっかりしているのね」と冷たい視線でみんなの前で言われた事を未だに鮮明に覚えている。
 家族以外の人からすると、不良も不登校も共に認められない存在なのだと感じた。

進路調査票(将来なりたい職業を考えよう)

 もう一日だけ登校した中学2年生。なりたい職業から進路を決めようという授業があった。当時本当になりたい職業などなかった。そして進学など僕には無理だと思っていた。(当時のきゅうり君に、障害者施設で他害に合いながらも4年務められた事を教えてあげたい)
 そして、その夢はみんなに発表されるものであった。不登校だからと言って家で勉強などもしてなく、勉強も普通レベル。とりあえずPC操作が好きだからという理由で事務職に〇を付けた。発表の時間は非常に苦だったのか一切記憶にない。しかしこれだけは言える、この時期はきゅうり君の自己肯定感がMaxになかった時代なので、この頃は恋愛とか目指せお婿など考えていなかった。

おそらく高校生時代だろう

 高校生時代、恋愛も経験してドラマにもハマった、自分の周りの友人に性的マイノリティの人はいなかったが、自分みたいな人もいるんだと自覚し始めるようになった。
 きゅうり君は幼少期に箱パパから「お前が女だったら安心して嫁に出せたのに」と言われた事があった。きゅうり君自身中性的な性格から女子だったら少なくとも今よりは生きやすいかもと考えていた時だったので、正直納得した。

体育は一切できないが、家庭科特に裁縫は得意、調理実習は人並みだったので、裁縫で点数を多く稼ぎ、調理実習の実力は人並みでも5を取ることが出来た。
専業主夫もしくは、無職でも年金の請求書は届くので、その分だけでもパートに出て稼ぐ生活に憧れていた。

主夫になりたいきゅうり君

 主夫になりたいのであれば、ひとまず相手が居なければ成立しない。
当たり前のことである。29歳三十路、頑張って婚活始めます(*^^)v
幸いなことに、介護職員もコンビニ定員もどこに引っ越しても働き口は見つけられそうである。
 今のきゅうり君の強みは、担当カウンセラー曰く、
1、まじめに恋活をしている
2、レスポンスがマメ
3、笑顔
4、全国どこでもできる仕事。引っ越しOK
この4点らしい。頑張って目指せお婿で頑張る事に決めた。

noteでは僕「きゅうり君」の17歳からの27歳までの恋愛と、
27歳から29歳までのリアルな恋愛は諦めて腐男子として生きている等身大の自分を日記を公開しようと思っております


ゲイ・お見合い・HSP・ダブルワークなど社会的に見た時にマイノリティーな自分ですが、自分の日記を公開するイメージでnoteを書いております。 寂しい事や不安な事があっても、noteで誰かの心が笑ってくれると嬉しいです(*´ω`*)