会長社長、課長社長、兄弟いろいろ~
長兄は会長で短歌、3男は社長で俳句。この兄弟は豪農の息子として「芋を作らず、米も作らず」で、文学少年だった。結局、末弟の義父が家業を継いだ。結婚前に姉と兄3人を紹介される。
北群第 7号(昭和57年10月1日発行)は小西楊々子の追悼号だ。発行所は同人誌 北群の会。長兄は「白楊」「狭き視野」などの歌集を発表し、3男も450句所収の句集「楪り葉」を発行した。
追悼号に「亡兄を憶う」というエッセイがある。
2月中旬、兄と私は社業のこと、健康のこと、はらからの一人ひとりのことなどを、静かな親しみの中で語り合った。「健康に気をつけようなァ」それが対話の終わりであり、わかれだったのだ。
以前、アルバイトしていた会社のこと。弟が社長で兄が課長。 1年ほどいたが、談笑しているのを見たことがない。社長、課長として社業のことを話し合うことなど皆無だろう。兄弟、いろいろ。