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紙面飾った自分で書くより的確な記事
佐々木七恵さん(09年6月29日) 女子マラソンの先駆者・永田七恵(旧姓佐々木)さんが27日、直腸がんのため死去。53歳だった。テレビ、新聞などによると、約2年前から直腸がんの治療を受けていたという。
84年ロス五輪女子マラソンは2時間37分4秒で19位だった。多くの新聞がこの時のゴールシーンを掲載し、七恵さんの偉業を偲んでいる。葬儀は29日、都内で親族らによる密葬で行われた。
ロス五輪女子マラソン当日、岩手・大船渡にいた。家族の娘に寄せる思いなどを取材するためだ。駅前からタクシーに乗り「佐々木七恵さんの家に」と言うだけで話が通じた。地元では七恵さんの家を誰もが知っていた。
マスコミの取材から逃れるため、実家は数日前から留守だった。郵便受けに新聞がたまっていた。取材不足は否めない。デスクに家族と会えなかったことを報告すると、七恵さんと縁が深い盛岡一高校へ行けという。
大船渡から盛岡までの距離と時間を分からずに言ってくる。私は夜、公民館で数十人の市民がテレビ観戦し、七恵さんを応援するということを聞き、その旨を報告し大船渡に居残った。
レース直前になっても、実家は真っ暗で人の気配がない。部長に留守部隊の応援の様子、関係者や市民のコメントなどくまなく電話で伝えた。原稿は部長が書き、写真はカメラマンがホテルから伝送した。
翌朝、新聞を見たら、自分で書くよりうまい記事が紙面を飾っていた。「さすがだなあ」と感心した。その部長も既に亡くなっている。