国民栄誉賞辞退 大谷その意気や良し
大谷翔平選手が国民栄誉賞を辞退した。大谷選手側は打診に対し「まだ早いので今回は辞退させていただきたい」と回答。この表彰は過去、内閣の人気取りとの批判がつきまとっていた。
イチローさんは2001年に小泉内閣から打診された。そのときは「まだ若いので、できれば辞退したい」と固辞。04年に再打診があった。19年には安倍内閣から打診されたが断っている。
国民栄誉賞は、福田内閣時代の1977年に創設された。「広く国民に敬愛され、社会に明るい希望を与えることに顕著な業績があった者に対して、その栄誉を讃えることを目的」とする。
王貞治さんが9月3日、通算本塁打世界新記録(756本)達成後の5日に初めて授与した。
福本豊さんは83年6月に中曽根首相から打診され固辞。「王さんのような野球人になれる自信がなかった。記録だけでなく広く国民に愛される人物でないといけないと解釈した」という。
大谷選手の辞退理由は「まだ早い」だった。イチローさんも1回目は「まだ若い」と固辞している。その意気や良し。