三浦綾子波瀾万丈な生涯を録画で見る
1月は絵を描いて過ごした。2月下旬に1枚、3月上旬2枚展示する。2月の絵は「冬の金沢兼六園」、3月の絵は「兼六園の雪景色」「愛くるしい家族」「ひとみのトンネル」から選ぶ。
兼六園の写真は金沢の人がLINEで。愛くるしいは家にあるロボット、ひとみはパンフレット。スケッチとはいいがたい。模写の練習のつもり。外で描きたい。春よ来い早く来いである。
午後9時まで三浦綾子の生涯を録画で見る。昨年7月23日に放送された三浦綾子生誕100年特別企画「いのちの言葉つむいで」(BS朝日)。前川正さん、三浦光世さんの真似は出来ない。
代表作は「氷点」。主作品は「泥流地帯」「塩狩峠」「道ありき」など。旭川生まれ。肺結核と脊椎カリエスを併発して13年間の闘病生活。40歳過ぎて作家活動。77年間の生涯は波瀾万丈。
昨年の2月3日、旭川で闘病中の上司のことを書いた。手紙に出てくる編集局長、旭川出身の編集局次長、上司も既にいない。妻の月命日に、旭川医大で亡くなった上司を偲ぶ。(再掲載)
泣こうが叫ぼうがここは私の天下です
初めての上司、尾山勝司課長からの手紙が出てきた。石原慎太郎さんと同じ昭和7年生まれ。40代半ばで亡くなったが、闘病中に編集局へ送ったもの。さらっと読んでいただければ幸いです。
編集局御一同さま 温かい励ましと、みなさまの生々しい近況ありがとうございました。ご厚情に感謝申し上げます。体慣らしのため、ふらりと気楽にやってます。静養先の旭川で再び入院とは思いもよらぬことでした。旭川はまだ桜はありません。でも陽ざしは春です。
入院先の旭川医大の病窓に、白い山肌の雄大な大雪山系が迫っております。大変美しいです。旭川は佐藤編集局次長の故郷です。私が書くより佐藤さんに聞いていただければ、その美しさをほうふつしていただけると思います。
原因不明の激痛に襲われほとほと参りました。今は脊椎に管を入れ、そこから麻酔を注入し痛みを止めております。麻酔が切れると、薬切れの麻酔患者のように七転八倒です。
四人部屋から個室に移りました。ここは自由です。泣こうが叫ぼうが私の天下です。どんなに規制されたところにも自由はあるものです。今、私にとっての自由は痛みに勝ち抜くためにあると思います。
とにかく耐えます。痛みが薄らぐと時計を見ては編集局各部の動きが手にとるように頭の中を回転しております。一日も早くよくなり、編集局に顔を出したいと努力しております。がんばります。塚本局長のもと、みなさまのご活躍を祈ります。
5月3日午前4時25分記 尾山 (注)昭和53年ごろと思われる