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婚宴の酒に酔ひつつ...我が披露宴詠む

歌集「狭き視野」(小西米作・昭和54年7月14日発行)の中に「みちのく遠野」が11首収められている。伯父が私たちの結婚式(昭和48年)列席のため、北海道岩見沢から初めて遠野に来る。披露宴の作品も一首あった。

婚宴の酒に酔ひつつ噪げり農に老いたる人素朴にて

機械化に遠き村落秋たけてまだ架け稲の多くを残す

雨戸閉ざし藁家まばらにある狭間遠野の民話ここに生れしか

合併によりて市となりし山間の藁家に秋の日ざしあまねし

吹きぬけの牛舎の牝牛鳴くときに豊に垂れし乳房が揺るる

トラックが道曲るとき集乳缶触れ合ひて鳴る音のきこゆる

霜白く置く道端に寄り合ひて登校の児ら朝のバス待つ

出稼ぎに行く若者を見送りて老の二人がホームに手を振る

収穫のすまぬに若者出稼ぎに行きて残れる老が稲扱く

夕暮を牧舎に帰る牛の群道横切るを車停めて待つ

た易くも捕へし蜻蛉ひそまりてをりしがふともわが指を噛む

「狭き視野」は、昭和53年作の「老の眼の一つ失ひいよいよにわが視野狭くなりゆくらむか」の一首からとったものである。

歌集をパラパラめくり、最後に後書きを読んだ。「昭和42年5月に眼底出血があり、44年3月には一夜にして左眼の視力を全く失った。急性緑内障によるものであるが、その後もずっと眼圧が高かったので、52年11月に、医師のすすめもあって左眼摘出の手術を行った」とある。

私は北海道に帰ると伯父の家に立ち寄っていた。町の古本屋より蔵書が多かった。きちんと整理された本箱を眺めるだけでも楽しかった。ある年、年始に行くと、開口一番「隗より始めよ、と書いているけど、この記事はおかしい。新聞社に電話したよ」と言う。地元紙の社説に異議を唱えていた。

「狭き視野」は「白楊」に次ぐ第2歌集で、作品563首が収められている。当時は旅中の作品は少なく、紹介した「みちのく遠野」は「563分の11」になる。少年の頃、自分の文芸誌をつくるために関心を持った印刷が、生涯の仕事になった。「自分の作品集を自分の手でつくることができ、作品のよしあしはともあれ、私としてはこの上ない満足である」。

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