父のことば
僕が幼稚園かそれくらいの頃だったと思う。僕は父に連れられてどこかにお出掛けすることになった。
父は優しくて、頼りになる存在だった。そしてごく当たり前のように父が大好きだった。だから多分僕はうきうきと僕は父の後ろについていった。
僕らの移動手段はいつも歩きか公共交通機関、そしてこの日はバスだった。バスがやって来て僕らは車内に入る。
当時の僕は幼くてとてもどんくさかった。それは今も、なのかもしれない。まぁ、それは置いとくとして、とにかく鈍くさい僕だった。
その時も父はすぐに座席に座ったが、僕は何かでモタモタして座席に座るのが遅れた。
そして発車しまーすの運転手の声とともにバスは走り出し、そして僕はその勢いで見事に尻もちをついてしまった。
僕は自分の鈍くささを知っていたから、こういう経験は日常茶飯事で、また失敗したかーって感覚だったと思う。つまりショックはなかった。
しかし父は違った。よほど僕が危機的な転び方をしたように見えたのだろう、
「こら!あんじょう運転したらんかい!」と父が怒鳴った。
僕も父も関西人だが、僕にはその父が発した言葉は酷い悪人のような言葉に聞こえた。
父は物静かな人だった。病院に入院しているときも趣味の本をずっと読んでいたので、学校の先生だと思われているような人だった。そんな父から発せられた言葉としてはすごくギャップがあって、衝撃的に思えた。父は静まり返る車内と、申し訳ありませんとバスを停めて頭を下げる運転手に我が返ったように、僕を引き起こして自分の隣に座らせた。
大人になってずいぶん経ったある日、僕は懐かしそうにそのエピソードを母に話した。怒ると怖かったんだよな、父親は、と。
母はそのエピソードを聞いてニコニコとしながらあの人は大阪の南の方で育ったので河内弁だった。父は大阪市内に勤めだしてから、河内弁を恥じるようになった。もちろん河内弁が悪いことじゃない。でも、父はそうは思わなかった。子供の教育に悪い、と。
そして、父は子供が生まれたとき、言葉遣い気をつけるわと言ったそうだ。
父は物静かなイメージだったが、それはしばらく自由に喋れなかったのかもしれない。
そのおかげか、僕は関西でありながらそこまでキツい喋り方はしてないらしい。
子供を育てることは何かを捨てることもあるんだなと思った。
ちなみに父はそこまで徹底してたわけでもなかったのか、僕が買ってもらったおもちゃをその日のうちに無くしたりしたら、烈火のごとく「ワレしばくど。朝までに探してこんかい」と怒鳴ったりされた覚えがあります。
怖かったな。