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「いいちこ」を始め、人との“ご縁”を大切にずっとチャレンジしてきた会社、それが三和酒類。【三和酒類株式会社(前編)】

九州の醸造メーカーを中心に構成される「九州ビネガー会」。各社のものづくりへの思いを紹介するシリーズ『TSUNAGUレポート』の第5回。今回はロングセラーの麦焼酎「いいちこ」で有名な大分県宇佐市に本社を構える三和酒類。本格焼酎だけでなく、日本酒、ワイン、ブランデー、リキュールまで手掛ける総合醸造企業です。前編では、三和酒類とはいったいどんな会社か、企業として大切にしているポリシーなどを中心に、代表取締役常務の熊埜御堂 康昭(くまのみどう やすあき)さんにお伺いしました。

4社合同で設立した、三和酒類の歩み

三和酒類は1958(昭和33)年からその歴史がスタートします。現在の宇佐市で創業していた赤松本家酒造・熊埜御堂酒造場・和田酒造場という3つの造り酒屋が一緒になってできた会社です。各蔵で造っていた日本酒の共通銘柄を「和香牡丹」にし、共同瓶詰め場として業務を開始しました。
 
社名の由来は、スタートが「3社」だったので「3社で和を持って」という気持ちから「三和」に。「酒造」ではなく「酒類」としたのは、この当時から「将来は日本酒だけではなく、さまざまな酒類にもチャレンジしたい、という気概があったからと聞いています。翌年、もう1社、西酒造場が加わって、現在の体制(4社が株主)になっていますが、創立時の社名を踏襲しています。
 
この当時、全国に3,000軒以上の日本酒蔵がありましたが、産業の近代化が政府主導で進められると共に、灘や伏見のナショナルブランドが地方に販路を広げ始めていました。それにより、地方の小さな酒蔵の経営は厳しさを増していたことが、会社発足の引き金となったそうです。
 
共同瓶詰め場としてスタートしてから10数年、大変厳しい経営が続きました。三和酒類は各酒蔵の共同瓶詰め場から1972(昭和47)年に企業合同を行いました。
 
この前後、それぞれの蔵が有していた日本酒の製造免許を返還し、新たに三和酒類として、日本酒、本格焼酎、果実酒(ワイン)、もろみ(食酢原料用)の免許を取得したのです。

九州ビネガー会とのご縁の始まり

きっかけは、キユーピー醸造さんが1972(昭和47)年に、九州の大手食酢メーカーさんと提携して“株式会社九州ビネガー”という会社を、三和酒類がある大分県宇佐市に設立したことです。1971(昭和46)年に取得した、もろみ(食酢原料用)の製造免許。これが、九州ビネガー会とのご縁の始まりとなりました。
 
これを機に、ご縁をいただいた三和酒類は、創業に携わった四家の中の一つの蔵でお酢の原料となるもろみ(食酢原料用)の製造を行い、苦しい経営を乗り切ったという歴史があるのです。
 
九州ビネガーさんの業務拡大に伴い移転先を検討していた1980年代前半頃には、三和酒類本社の隣接地も候補地になったことがありました。諸般の事情で実現しませんでしたが、その土地を三和酒類が買い取り、倉庫を建てました。
 
その倉庫は、「九州ビネガーさんとのご縁を大切にしよう」という気持ちから、Vinegarの「V」をいただいて「V(ブイ)倉庫」と名付け、今でも稼働中です。
 
「九州ビネガー会」という会員組織になった今も、ご縁を継続しており、三和酒類も参加させていただいているというわけです。

ロングセラー商品「いいちこ」の誕生

「いいちこ」の発売は1979(昭和54)年です。「においから香りへ」をコンセプトとした新・本格焼酎の開発にチャレンジ。何度もの失敗を繰り返しながら商品化にこぎつけました。
 
当社では「いいちこ」を販売していくにあたり、日本酒類販売さんという酒類卸売業の企業とのご縁で、まずは広島で営業・販売を開始。そこから各地に展開していきました。「下町のナポレオン」というキャッチフレーズで、発売2~3年後には全国へと飛躍的に増えていったのです。

チャレンジを繰り返してきたから、今がある

ここまで当社の沿革をお話ししましたが、三和酒類は創業以来さまざまなチャレンジを繰り返してきたと感じています。
 
まずは会社の設立、企業合同、ワインづくり、食酢原料用のもろみづくり、新感覚の本格焼酎開発など、すべてがチャレンジに当てはまるものと捉えています。「いいちこ」を発売した当時には、業界内で「三和はついに焼酎にまで手を出した」と揶揄されたと聞いています。でも、そんなチャレンジを繰り返してきたからこそ今がある、と考えています。
 
そして、焼酎醸造好適大麦「ニシノホシ」も「チャレンジの繰り返し」の成果物と言えます。焼酎を造ることに適した大麦づくりを目指し、1993年から産官学協働で開発に着手し、2001(平成13)年に品種登録されました。三和酒類の地元である大分県宇佐市は昔から麦作が盛んな地域ですが、最近では市内の大麦作付面積2600~2700haのうち約半分に当たる1300~1350haで作付けしていただけるほどに根付いてきました。ここで収穫された「ニシノホシ」は全て当社との契約栽培であり、大分麦焼酎「西の星」の原料となっています。
 
「西の星」は、発売から20年以上が経過しました。アルコール業界全体が厳しい状況下に置かれていますが、「西の星」が前年越えの売り上げが続いています。

三和酒類のパーパス 「世界を、“Wa”でいっぱいに。」

現在、酒類業界内の競争だけではなく、飲酒離れ、世代・価値観の変化、お客様の生活スタイルの変化という状況をふまえ、三和酒類は、数量の伸長だけではない社業の発展と社会課題解決の両立を目指す必要があると考えています。
 
企業として継続して、企業目的として定めている「人と人、人と自然との関係を豊かに」「働いて幸せな会社に」を実現するということは、地球、環境、社会、すべてのお客様、当社の従業員とその家族の幸せを目指していく、というところに至りました。
 
そこで掲げた三和酒類のパーパスを「世界を、“Wa”でいっぱいに。」と定めました。
 
“Wa”について。これは、自然の恵みを麹と発酵の力で“Wa”というたくさんの人の幸せへと変えていきたい、という私たちの想いです。和やかな時間の「和」、語り合い絆を深める「話」、故郷や環境を大切にする「環」、世の中にワクワクをつくり出す「わっ!」。当社の企業活動からいろいろな“Wa”をつくっていきたいと思っています。

“Wa”をつくる新しい取り組み

“Wa”をつくることにつながる取り組みをご紹介させていただきます。2022(令和4)年5月、体験型施設「辛島 虚空乃蔵(からしま こくうのくら)」をオープンしました。この施設は、地元行政機関である宇佐市様が全国に先駆けて認定を受けた「宇佐のうまい酒 製造体験特区」の仕組みを活用させていただいて開設したもので、日本酒づくり体験、きき酒などの体験プログラムや、ここでしか味わえないお酒や地元の食材を使ったアテをお楽しみいただくことが出来ます。
 
当社のものづくりの姿勢をお客様にご覧いただける施設として、焼酎なら「いいちこ日田蒸留所」、ワインなら「安心院葡萄酒工房」がありましたが、原点である日本酒にはそれがなく、長年の願いが叶ったとも言えます。今後は、地元のお客様と触れ合える場所としてはもちろん、長い目で見ながら海外からの客様へも日本の文化を発信する場として育っていってほしいと考えています。

多くの方には唐突に聞こえるかもしれませんが、当社の食品事業部では麦焼酎を造る過程で生じる副産物である「大麦発酵液(焼酎粕)」を利用し「GABA (ギャバ)」という成分を生産しています。「GABA」は一時的な疲労感やストレスの軽減などに効果が期待される成分で、健康食品や化粧品の原料素材として注目されています。これが業界で評価され始めており、国内シェアがトップクラスになりました。主力商品の麦焼酎を造る過程で生じる副産物を活用して皆様の健康増進のお役に立てる、この分野にも注力していきたいですね。

100年継続できる企業を目指して

1958(昭和33)年の設立以来、数々のチャレンジをしてきた当社ですが、その都度、周囲の方々との“ご縁”に助けていただきました。今後もそういった“ご縁”を大切にしながら、企業目的を達成し、まずは100年継続できる企業を目指していきたいと思っています。
 
―前編 おわりー

熊埜御堂 康昭 くまのみどう やすあき
三和酒類株式会社 代表取締役常務 1977年生まれ。2003年の入社以来、「いいちこ」を中心とした本格焼酎の製造やボトリングから国内外の営業、研究部門を経て総務部門を担当、総轄補佐。
 
●三和酒類(株)ホームページ
https://www.sanwa-shurui.co.jp 三和酒類 検索

●「辛島 虚空乃蔵」
https://www.sanwa-shurui.co.jp/factory/karashima

●「安心院葡萄酒工房」
http://www.ajimu-winery.co.jp

●「いいちこ日田蒸留所」
https://www.sanwa-shurui.co.jp/factory/hita