僕はシノハラさんじゃない
湖畔のふちで、本やら雑貨やら音楽やら何やらを愉しむイベントに遊びに行った。
ほほう、ほほう、これもあれもいいですなぁ、と歩き回っていたら、本棚の陰に隠れるように座っていたイケガミさんに声をかけられた。
ささきりょうたの歌が聞きたいからちょっと店長を変わってくれないか、と言うので、ええもちろん、と答えたらテキパキと値札はここへ、お釣りはここに、と指南を受け、またたく間にお客から店長へと変身してしまった。
かたや、店長から遊び人へと姿を変えたイケガミさんは、僕にお礼のビールを渡して、いそいそと木立の中に消えて行った。
ぐびりぐびりと喉を潤していると、失礼かも知れないが、意外とお客さんがやってくる。
みんなが熱心に本やら土偶やらを見ていると、こんな急ごしらえの店長でごめんね、という気持ちになる。少し。
若い女性ふたりが、きのこのポストカードを買ってくれる。
あら、いいですねぇ、なんて言いながらお会計をしていると、お店の名刺ってありますか、と聞かれる。
うんうん、欲しくなるよね。僕もそう思う。ので、事前にイケガミさんに確認していたのだけど、ないんだよー、と言われていた。無念。
だから、申し訳ないけれど名刺はなくて、さらに言うと僕は店長ですらなくて、店長はイケガミさんっていう人なんだけど最近は土偶をよく焼いていて、そこにイケガミさんの日記を売っているのでよかったら読んでみてください、とごちゃごちゃ伝えた。
ふたりは、そうなんですか!と言いながら日記を手に取ってくれる。やさしいお客さんだ。
すると、「あ、シノハラさんですか?」と聞かれる。日記には結構な頻度で"シノハラさん"が登場するからだ。
いやいや、ごめんなさい、僕はシノハラさんではなくて、でもそう思っちゃいますよね、ちなみにその本を出版しているのは、今ここまで歌声が届いているささきりょうたという人で……
と、絡まった言葉の糸はほぐれるどころかさらにくんずほぐれつになっていくのだけれど、それが何だかおかしくて、最後はみんなでただ笑っていた。
夜は、またお隣の湖に足を運んだ。
湖のほとりまで歩いていくと、カヤックに乗った10人ぐらいの男女が、そろりそろりと漕ぎ出していくところだった。
どうやら、ナイトカヤックのツアーらしい。みんな、無言だ。
それを、木のベンチに座りながら、ボーッと見つめる。
月明かりのもと、ちゃぷり、ちゃぷり、とかすかにオールが湖面を奏でながら、静かに此方から彼方へカヤックは進んでいく。
次第に、青みがかった暗闇にみんな溶けていく。
人が死んだら、こんな風にあっちへ行くのかな。そうだったらいいな。
なんて思える、ちょっと怖いけど、落ち着く光景だった。
家に帰ると、ビーチサンダルと足の裏が汚れていたので、つま先立ちで歩きながらシャワーまで向かった。
でも、森に行って足の裏がよごれるのは、いいことだ。