「義務感」から離れて「幸せ」を起点とした人生を歩みたい【Kyunと私の未来予想図〜三宅諒編〜】
「これまでは、ずっと義務感ばかりで仕事をしていたんです。自分自身の幸せなんて、考えたこともなかった」── そう語るのは、Kyunで執行役員兼事業部長を務める三宅諒(以下、ryo)。
現在では、“ウェルビーイング”を起点に事業を展開しているKyunですが、ryo自身はもともと自身の幸せを描くことのないキャリアを形成していた一人でした。
これまでは、商社や人材業界など幅広い企業を経験し、多彩な経験を積んできたryo。転職を重ねたことで見えてきたのは「本当はどんな自分になりたいのか?」という素朴な問いでした。
その思案を重ねた結果、現在はKyunで自分自身の、そして今を生きる多くの人々のウェルビーイングを実現するべく事業に取り組んでいます。
実は、一度はキャリアの途中でKyunに参画したことがあるというryo。別の道を歩んだはずにも関わらず、それでも彼がもう一度Kyunの扉をたたいた理由とは?彼が追求するウェルビーイングのあり方とは?
今回は、そんなryoの等身大の言葉から、Kyunと彼が描く「未来予想図」に迫ります。
果敢に「成長」を追い求め続けたキャリアという旅路
── まずはこれまでの経歴について詳しく教えてください。新卒から現在に至るまで、比較的、転職回数の多いキャリアだそうですね。
Kyunは6社目なんですが、同じ会社への出戻りもあるので、転職回数は8回ですね。なかなか多いほうかもしれません。
そもそも大学時代は経済学部に在籍していたんですが、当時はなんとなくキラキラしている業界、たとえばメーカー・金融・商社といった業界へのあこがれがあって、そのあたりを中心に就職活動をしていました。
結果的に内定を得たのが、関西に本社を置くアパレル系の老舗商社。アパレル雑貨を扱っていて、小売店への卸販売と一般顧客への接客販売を行っている会社でした。
しかし、入社してみると年功序列のカルチャーが根強く、会社で活躍できる人材になるためには相当の時間がかかるのではと思うようになったんです。
というのも、漠然とした「成長したい」という想いは当時からありましたが、どういう場所で自分が輝きたいのかまでは、新卒の段階ではあまり考えられていなくて。「商社だったらきっと成長できるだろう」くらいのふわっとした印象だったのだと思います。
そのため、将来のキャリアを考えたとき、この会社で長く働くことに疑問を感じてしまい、わずか1年3ヶ月で退職を決意。負けず嫌いな性格だったので、当初は3年は頑張ろうと考えていたのですが、自分に正直に生きたいという想いが勝り、早期退職に踏み切りました。
次の転職先を探すなかで、リーマンショックの影響もあり、かなり厳しい就職環境であることを実感しました。何社も不採用が続いた結果、なんとかオール電化製品の販売会社から内定をもらうことができました。
ここは徹底した実力主義の会社で、僕はバリバリ営業力を鍛えようと意気込んで4年近く在籍。そのうち最初の1年間は営業のプレイヤーとして現場で働き、その後は営業責任者として戦略の立案やマネジメントに従事しました。
── キャリアのスタート時から怒涛ですね。今にもつながる人材系の企業に移ったのはいつからなのでしょう?
次に転職したパーソルキャリアが初めての人材系企業でした。無形商材の営業経験がなかったので、次はそういった領域でと思っていたこと、自分自身がキャリア選択において十分な思案ができていないことに反省の気持ちがあったこともあり、キャリアの悩みになら寄り添えるかもしれないなと思って選んだ業界です。
パーソルではキャリアアドバイザーとして、関西のスペシャリスト領域を担当。経理・総務・法務といった管理部門の人材紹介に携わりました。
在籍期間は2年ほど。最後の半年間は広島に異動となり、広島拠点でビジネスサイド全般のアドバイザーとして活躍しました。
しかし、家庭の事情で関西に戻る必要が出てきたため、パーソルを退職することに。すぐに大阪に戻れる状況ではなかったので、一時的にオール電化の前職に戻らせてもらい、次の転職活動を行いました。
── なるほど。そこが初めての出戻りということでしょうか。
はい、前職には本当に助けられましたね。すぐに受け入れてくださり、転職が決まるまでの間、安心して仕事に打ち込むことができました。
1〜2社目での営業経験を経て、次のキャリアステップとして興味を持ったのがベンチャー・スタートアップの世界でした。パーソルキャリアでは中途領域の経験値を積んでいたので、新しい環境をと思い、特に新卒領域で自身の経験を生かせる環境を探していました。
そこで出会ったのが、新卒向けのメディアサービスとSaaSを手掛けるMicoworks(ミコワークス)という会社。ちょうど同社が新卒エージェント事業の立ち上げを計画していたタイミングで、僕も参画する運びとなりました。
しかし、入社して間もなく、エージェント事業の譲渡が決定。わずか半年ほどでしたが、事業の基盤を作ったのち、譲渡に伴って撤退することになりました。
とはいえ、会社自体は魅力的だったので、SaaSの事業に異動。セールスのマネジメントとプレイングマネージャーとして、法人営業の最前線で働きました。トータルするとMicoworksには1年半在籍して退職。
理由は、当初の目的だった新卒領域の経験をもっと積みたいと考えたから。そこでirodas(イロダス)という新卒領域に特化したHRベンチャーにジョインすることになりました。
irodasでは新卒エージェント事業の責任者として陣頭指揮を執りました。社員は50名ほどで、そのうち30人近くをマネジメント。事業を大きく成長させることができました。
── 本当に多彩なキャリアを歩んできたんですね。それぞれの場所で得た学びや経験は今のキャリアに大いに生きているのではないでしょうか。
おっしゃる通りです。どの会社でも必ず得るものはありましたし、それぞれの場所での学びが積み重なって、今の自分があるのだと思います。
新卒のころは、どちらかというと受け身な転職が多かった印象があります。自分のやりたいことよりも、「この会社なら成長できそうだ」「ここなら自分の力を発揮できる」といった環境の方を優先して選んでいたように思います。
でも、そこで培った知見やスキルは今でも生きていますし、何よりさまざまな業界や職種を経験できたことで視野が広がったのは大きな財産になっています。
一方、Micoworksやirodasといったベンチャー企業では、事業を生み出す面白さを味わうことができました。自分の裁量で仕事を進められる環境だったので、スピード感を持って成果を出していくことの楽しさを実感しましたね。同時に経営者としての視点も養われたと感じています。
これまでの転職は、常に自分の成長と、その先のキャリアを見据えた選択でした。環境の変化を恐れずにチャレンジしてきたからこそ、今こうしてKyunにたどり着いているわけですしね。
もちろん、振り返ればもっとこうしておけば良かったという反省点は多々ありますが、すべてが今の自分の糧になっています。
圧倒的な「0→1」に引かれてKyunへ
── irodasを退社後、Kyunに1度目の入社をされていますよね。Kyunとはどのように出会ったのでしょうか。
Wantedlyでの募集記事がキッカケでした。当時、漠然とした転職意欲はあったものの、まだ具体的に動き出してはいませんでした。そんななか「何社か話を聞いてみるか」ぐらいの軽い気持ちでWantedlyを眺めていたんです。
そこで目に留まったのが、サウナハットをかぶった女性の写真が印象的なKyunの募集記事。変わった会社だなという第一印象はありましたが、その写真に引かれて記事を読み進めるうちに、ウェルビーイングという言葉に興味を持ちました。
加えて、Kyunが募集していたのは1人目の正社員。事業フェーズとしてもまだ0→1に近い段階だと感じ、これは面白い挑戦ができるかもしれないと直感したんです。
新卒領域の事業立ち上げやマネジメント経験はありましたが、中途採用領域の0→1は経験したことがない。だからこそ、チャレンジしがいがあると感じました。
そうして、Kyunの創業者であるteru(奥本照之)さんとカジュアル面談をさせてもらうことに。
お話しするなかで、お互いの価値観が驚くほど近いことに気付かされました。原体験も含めて、なぜteruさんがウェルビーイングを追求するのか、その理由に強く共感を覚えたんです。
一方で、ビジネス的な観点から見ても、Kyunは非常に魅力的に映りました。僕はこれまでセールス畑一筋で、歴代の上司もセールス出身者が多かった。でも、teruさんはマーケティングやプロダクト出身の経営者。
僕にとって新しいタイプのリーダーだったので、ここで一緒に働けば自分の営業面の強みを生かしつつ、マーケやプロダクトの視点も吸収できるはずだと。
こうした理由からKyunに非常に引かれ、そのまま選考も進めさせてもらいました。特に比較検討するような企業もなく、誰かに相談するでもなく、ひとつの直感を信じてKyunに飛び込んだという感じですね。
── Kyunに入社した後は、どのような働き方をしていたのでしょうか。
実は僕の入社直前に、teruさんと一緒にKyunを立ち上げた共同創業者が退任することが決まりまして。そんななかでのスタートだったので、まずはteruさんと二人三脚でリスタートを切った事業の基盤作りに着手しました。
創業初期だったこともあり、ゼロから売り上げを立てつつ、戦略設計などを半年かけてじっくり行いましたね。その後、もう一人メンバーが加わり、そこからは少しずつ組織としての形ができてきました。
事業基盤を固めながら、並行して営業活動も行っていたので、一日の大半を営業に費やしていた時期が続きました。
振り返ると、事業を産み出すフェーズにどっぷり浸かっていた9ヶ月間。0→1のステージを経験できたことは、自分にとって大きな学びになったと思います。
一度は離れたKyunへの想いが再燃した理由
── 約9ヶ月間、Kyunで働いた後、一度離れる決断をされたそうですね。その心境の変化について詳しく教えてもらえますか?
Kyunでの9ヶ月間は本当に濃密な時間でした。売り上げをゼロから作り上げ、チームも少しずつ大きくなっていく。そうした成長を間近で感じながら、自分自身も事業と共に成長させてもらえたと思います。
ただ、ある時期から別の環境でもう一度チャレンジしたいという想いが芽生え始めたんです。Kyunでの仕事にやりがいは感じていたものの、同じ環境に長く留まることへの漠然とした不安もありました。
そんな折、以前お世話になったirodasで、新規事業の立ち上げに参画できる機会があり、そちらに移ることを決断しました。事業フェーズとしても、より成長スピードを感じられる環境だと判断したのも大きな理由のひとつです。
Kyunを離れる決意を固めたものの、実際に退職の意向を伝えるのは簡単ではありませんでした。
最初に切り出したのは、定例ミーティングの場。個人的にも応援し、尊敬するteruさんに対し、なんとか想いを伝えなければと臨んだのを覚えています。
その場では「分かりました」と一旦の理解は示してもらったものの、やはり納得はいかなかったようで。
その結果、なんと話した翌朝にteruさんから連絡がありまして。「今日中に大阪に行くので、夜空いてますか?」と。
── すごい……。よっぽどインパクトの大きな出来事だったということですね。
ありがたい話ですよね。仕事終わりの夜、大阪の梅田にある中華料理店でteruさんといろいろ話し込みました。「なんで辞めるの?」「僕としてはまだまだ一緒に働きたい」と、本当に本当に引き留めようとしてくれて。
当時の僕の意思はとても固かったので決意が揺らぐことはなかったですが、ここまでしてくれる経営者は他にいないと、teruさんの熱意に心打たれたのは紛れもない事実です。
退職後もずっと、あのときteruさんが見せてくれた姿が忘れられなかったんです。僕のことを思って、わざわざ東京から大阪まで来てくれた。ただ単に引き留めるというより、どこか申し訳なさそうな、悔しそうな表情をしていたのが印象的でした。
結局、irodasで約10ヶ月間働いた後、再びKyunに戻ることになるわけですが、その決め手となったのもやはり、teruさんの存在でした。
自分自身を縛り付けていた「義務感」から放たれて
── 再度、Kyunとの接点を持つようになったのには、どういった背景があったのでしょうか?
その後、irodasでは大規模な経営方針の転換があり、環境を変えることを考えるようになっていました。そんなとき、ふとKyunでの日々を思い出したんです。あのときteruさんが必死に引き留めてくれたこと、Kyunでの挑戦が楽しかったこと。
そして、自分のキャリアについてもう一度見つめ直したいと思い、思い切ってteruさんにキャリア相談の連絡を取ってみたんです。すると、快く会ってくれて。久しぶりの再会でしたが、これまでの思いの丈を話してみました。
キャリアにまつわる話をひと通りteruさんに打ち明けたところ、彼が僕に言ってくれたのは「ryoさんは義務感だけで生きているように見える」という言葉。たしかにその通りで、仕事に関しては成果を出すため、成長するために働くことが先行していて、自分の幸せやウェルビーイングという視点が欠けていたんですよね。
キャリアの選択も、成長できる環境やコミットできる場所を優先していた。そこには自分が「どう生きたいのか」の意思は反映されていないと気付かされました。自分らしく生きるためには、もっと内発的な動機を大切にすべきだと。
そんななかでKyunのような環境でなら、自分のウェルビーイングと誠実に向き合えるのではないか。自己の成長だけでなく、ユーザーや社会にとってのウェルビーイングを追求できるのではないか ── そう考えたとき、Kyunに戻ることを決意したんです。
── 現在の率直な心境を教えてください。
正直、戻ってきたばかりなので、キャリア転換としてはまだ過渡期だと感じています。でも、この数週間、数ヶ月間でも、明らかに以前とは違う自分がいるんです。
まず、働き方が大きく変わりました。
以前は朝7時半に出社して、終電ギリギリまで働くのが当たり前でした。それが今では、朝は5時半に起きて1時間かけて散歩し、7時に子どもを起こして家族でラジオ体操。
8時くらいからゆるやかに仕事を始めて、夜早めには家族との夕食時間をしっかり取る。20時か21時には一日の業務を終えるという、ゆとりのあるスケジュールです。
プライベートの充実が、仕事へのポジティブな影響を生んでいるのを実感しています。
以前は、休日でも仕事のことが頭から離れなかったですが、今では趣味の時間もしっかり作れるようになりました。野球観戦やキャンプ、読書など、純粋に自分の好きなことに没頭できる喜びを感じられるんです。
何より、Kyunという事業に対する想いが深まったのが大きいですね。ウェルビーイングという価値観を自分自身が体現し、そこにやりがいを感じられる。この先どんな事業が生まれても、そのコアにあるのはこの価値観なんだと、腹落ちしている状態です。
だからこそ、今の僕に求められているのは、ユーザーファーストの視点に立って、誠実にサービス作りに向き合うこと。
一人でも多くの人に、Kyunを通じて自分らしい幸せな人生を歩んでほしいなと。キャリアの課題解決だけでなく、ライフ全体を通してウェルビーイングを追求する。それがKyunのミッションであり、僕自身の使命でもあると考えています。
もちろん、完璧にマインドチェンジできたわけではありません。以前の自分のクセが抜けきれないこともあります。
でも、変わろうと努力していく過程そのものが、僕にとってのウェルビーイングなのかもしれません。
これからもKyunと共に、自分自身の、そして誰かの人生に真摯に向き合い続けたい。支援する側の自分もまた、日々学び成長し続ける存在でありたい。そんな想いを新たにした、再出発の場所がKyunでした。
仕事と楽しみの両立を目指して
── 素晴らしい志ですね。最後に、「Kyunと私の未来予想図」として、仕事面だけでなくプライベートも含めた今後の展望を教えてください。
Kyunでのキャリアビジョンとしては、先ほどお話ししたように、エージェント事業の成長と新規事業の立ち上げが大きなテーマになります。ウェルビーイングという価値観を起点に、事業と組織を大きく発展させていくことが目下の目標ですね。
一方で、プライベートの充実も自分にとっては大切なミッションだと捉えています。
Kyunに再入社して気付いたのは、仕事一辺倒の生活では本当の意味での幸せは掴めないということ。だからこそ、オフの時間をどう過ごすかにもしっかりと向き合っていきたいんです。
具体的には、まず家族との時間をより大切にしていきたいですね。
特に子どもとは、今のうちに思い切り一緒に遊んであげたい。きっちりスケジュールを立ててばかりの予定ではなく、フラッとUSJに出かけていって、同じアトラクションに連続で乗るとか、そういう今までの自分にはなかったタイプのプランも実践してみたいなと思っています(笑)。
趣味の時間ももっと充実させたいです。
昔から野球観戦が好きなので、できたら毎週球場に足を運びたいくらいですし。加えて、読書の習慣も再開したいと考えています。学生時代は推理小説をよく読んでいたのですが、忙しさにかまけて最近はご無沙汰気味で。通勤電車の中や休日の午後など、隙間時間を活用して、以前のように本の世界に浸れる自分を取り戻したいですね。
── すごく純粋に、日々を充実させるような目標を持っているんですね。
これまでの生き方が、まるでサイボーグみたいだったなと思うくらい遊びがなかったんですよね。なので、僕にとってのウェルビーイングは、日常の中の小さな楽しみの積み重ねのような印象があるかもしれません。
仕事もプライベートも、楽しむことと真剣に向き合うこと。その両軸をどう高次元で両立させるか。Kyunと僕の未来は、その問いに真摯に向き合うなかで、少しずつ明確にしていければと思っています。描いたビジョンに向かって日々精進しつつも、変化を恐れずにアップデートし続けていく。それが、自分らしい人生を歩むためのヒントになるのではと考えています。
── 素晴らしい視点ですね。仕事と私生活のバランス、そしてブレを受け入れる心の余裕。ryoさんの言葉を聞いていると、ウェルビーイングを体現するためのヒントが詰まっているように感じます。
僕自身、まだまだ模索している段階ですが、自分なりのウェルビーイングのあり方を追求していくつもりです。
Kyunという組織と、三宅諒という個人。
その両者が、支え合いながら、高め合いながら、笑顔あふれる未来を描いていければ。そんな具合で理想の姿を考えているこのごろです。
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