束の間

幸せだと文を、言葉を書かなくなってしまうな。言いたいことで体がいっぱいになって溢れそうになることがなくなる、だって言える人がいるから、
昔は雑談とかできる友達がとてもほしかった。いまはできて、とても幸せだ。言葉を吐ききって、むしろなにも言葉が出てこない。羊文学が2018年からすきなのだけど、今はもう売れてしまったけどあの音楽には私の高校生時代を支えてもらった。若者たちへ、は私の夏の苦しい思い出だ。羊文学の「体中がいっぱいになって心を言葉にしなくちゃ溢れそうだ」という感覚が、昔はあった。3、4年前は
今は、ない。とても幸せで、逆に恐ろしい。
こんな地面に這いつくばっているわたしを好きだという人間がいる。私の何を知っているんだ、策略だろうと疑わなければおかしいくらいに、私を愛してくれている。まだ一週間も経っていない。本当はとても怖い。遊びなんじゃないかって。
孤独でなくなった。
私を安心させる行動をしてくれている。男らしい。わたしにはもったいないくらい。
もうわたしの孤独感、閉塞感はなくなるのだろうか。誰か一人の力によって。そんなことはない、これから社会に参加しなければ簡単に置いていかれる。わたしも早く人間になりたい。永遠に好きだと言っていたい。馬鹿みたいだ。でもそれが幸せだ、かみさまは、こんな幸せを今年の私に取って置いてくれたのか。ありがたすぎる。幸せだよ。人生で一番幸せかも。もうあいつしかいないとおもってたのに、そんなことはないのかな。私はこれから大丈夫だろうか。幸せに暮らしたい。幸せで生きたいよ。嬉しいよ、本当にありがとう。どうかこのまま
私は一つがよくなるとあとはどうでもよくなり、人生が下降していく一方だな
どうかこのまま  わたしも頑張るからさ、見捨てないでよ、

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