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『轍』Lev.4 東埼玉道路開通後の未来Vol.3


草加八潮JCT(仮)を考える

「新参者」には窮屈だと思う

都心を囲むようにして2本、もっと広域的に見れば3本の外環状線が供用されている。
それは都市間高速道路の連絡を担う重要な路線であるが、一方で開通、延伸まで足踏み状態の盲腸線がネットワークに上手く入り込む余地は存在するのか。

事業主体はNEXCO東日本

外環道と接続する草加八潮JCT(仮)は、川口JCTと三郷JCTの間に準備構造がある。
外環道の交通量は増えていく可能性が高い一方、国道298号を含む周辺一般道の混雑緩和が見込まれる。

本願は側道よりも専用部。
専用部の整備方針として、「有料事業を活用した自動車専用道路」とされている(第2回埼玉県東部地区道路検討会)。そして2020年3月30日付で国土交通省から出された資料では、事業主体はNEXCO東日本となっている。

将来的な利用価値は東京向け≦東北・常磐道方面

実は東埼玉道路には春日部以北の延伸構想がある。東北道と常磐道が圏央道と外環道の2路線で連絡しているように、空白地帯に開通する東埼玉道路も同じ形になるかもしれない。
と言うのも、新国道4号バイパスは越谷、春日部と北上し、幸手市を抜けて茨城県五霞市へ向う。五霞市には圏央道のICがあり、その地が東埼玉道路の最終目的地なのだ。

◎泉田英臣 建設部長  東埼玉道路沿線の9市町で構成しております東埼玉道路建設促進期成同盟会におきまして、事業化されております国道4号バイパスまでの一般部の早期完成と、東埼玉道路の庄和インターチェンジから首都圏中央連絡自動車道の五霞インターチェンジまでの延伸を国に対し要望しているところでございます。

春日部市議会 平成28年9月定例会議事録より引用

外環道の需要を見るに圏央道接続は喫緊の課題のようにも思えるが、現状はバイパスから離れた区間の整備が優先して事業化されているのだ。

春日部市の庄和IC計画図
建設省北首都国道工事事務所『道づくり5年の歩み』から抜粋

庄和IC止まりだと東北道へは国道16号の重要度は増してくるが、常磐道に関しては昨年(2023年)11月に開通した「三郷流山橋有料道路」によって、吉川・三郷地域から流山ICへのアクセス性が向上した。

圏央道延伸が叶わない限り、高速道路ネットワークの一部として考えるなら東京方面へのアクセス性は相当重視されるべきだと思う。
先程、「外環道の交通量は増えていく可能性が高い」と述べたが、それは首都高と直結することが不可能だから

結局、都心方面へのルートは同じ

現状と同じく、都心へは川口線や三郷線利用が必須
盲腸線が外環道に接続するだけでは、東京への移動が多い県南地域の渋滞は解決されにくいのではないか。更に、三郷線と向島線が行き着く先の箱崎JCTの深刻な渋滞の構図も変わらない。

せっかく県南地域の交通に変革をもたらせる高速道路が開通するなら、都心へのルートもこれを機に再検討されていくべきだと思う

    そのヒントは上野にあった!

未完の首都高

東埼玉道路に対する国道4号本線を南下して起点の日本橋まであと5km圏まで来たところで、突然首都高の入口が現れる。

首都高入谷出入口
(東京都台東区 2024年2月17日撮影)

入谷終点の真実

1969年度時点の路線網と計画路線
首都高速道路公団『年報昭和44年度』より抜粋
1972年度以降完成予定路線
首都高速道路公団『年報昭和44年度』より抜粋

Vol.1で取り上げたように、江戸橋JCTを起点にして2つの路線は分かれていく。1本は6号向島線で、Ⅱ期区間以北の三郷線と合わせて常磐道へ向けて北上する。
2本目は1号上野線で、国道4号昭和通り上を北上するが、上野の先「入谷」で突如終点を迎える
1990年以降に浮上した延伸をめぐる土地収用案はVol.1に取り上げた通りだが、実はそれ以前に計画は変更され、実質棚上げ状態となっていた。

過去の資料を探っていくと入谷の先、中央環状線を越えて埼玉県境付近までの延伸計画「Ⅱ期」として、終点は「足立区北鹿浜町」とある。

本木JCT(仮)準備構造 内回り方面
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)
本木JCT(仮)準備構造 外回り方面
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)

東北道は他の中央道や東名のように「外環状線」(現:外環道)の内側ではなく、あくまで外環道との接続でⅡ期計画の終点までは検討中となっている。
しかし、これは東北道が埼玉県川口市で終点になることが決定された上での構想で、それ以前は違うビジョンがあったという。

東北道の計画変更から

1969年は首都高「葛飾・川口線」の都市計画決定前年で、首都高速公団の資料には路線の説明でこう取り上げられている。

ア 県道高速葛飾川口線
本路線は、東北自動車道が当初、予定されていた都内と青森を連絡する構造から、外環と青森の連絡に変わったことに伴って代わりに浮上した県内初の首都高速道路で昭和45年10月認定され、首都高速道路公団の手で昭和46年から施工中である。

『道路維持課20年史』22頁より引用
1970年度時点の路線網と計画路線
首都高速道路公団『年報昭和45年度』より抜粋
1972年度以降完成予定路線
入谷終点(台東区北上野)から先の計画は消えた
首都高速道路公団『年報昭和45年度』から抜粋

1969年の段階では検討中路線であった県境付近〜東北道間は、翌1970年に「1号線Ⅱ期」として計画され、現在の小菅JCTから川口JCTのある川口市西新井宿へ変更される形となった。
後の中央環状線との分岐は江北JCTとなり、川口方面専用入り口の扇大橋入口の手前にできるはずだった本木JCT(仮)は、分岐構造を残して計画は中止された

扇大橋のすぐ隣は江北JCT
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)
扇大橋入口は川口線方面専用
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)

夕日が傾く荒川で思い耽る時間

本木JCT(仮)の位置から上野方面を眺める
(東京都足立区 2024年5月26日撮影)

千住新橋から荒川土手を歩き、漸く準備構造が見えてきた所で後ろを振り返る。左に見える橋梁が千住新橋で、南下すれば入谷終点のある国道4号である。

川向こうを眺めると、マンションやビルがひしめき合うように建っている。
Ⅱ期計画の事実上の棚上げから長い歳月が経ち、需要の低さと江戸橋JCTが地下に潜る事で廃止の議論まで浮上するようになった上野線。

夕日が傾く荒川土手を行くランナー達、スポーツに励む子供達…。頭上に何も無い青空が素晴らしい事を感じながら、私は1人首都高に向けてシャッターを切る。
忘れられた記憶を掘り起こそうとした。
「これでいいじゃないか」なんて声も聞こえてくるが、再び上野線にスポットライトが当たるキッカケができていると思う。

       いま、ここに。











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